「協力」の生命全史 ニコラ・ライハニ著 2023年7月東洋経済新報社刊

(目次)

はじめに

第1部 「自己」と「他者」ができるまで

 第1章 協力を推し進めるもの

 第2章 個体の出現

 第3章 体のなかの裏切り者

第2部 家族のかたち

 第4章 育児をするのは父親か母親か

 第5章 働き者の親と怠け者の親

 第6章 人類の家族のあり方

 第7章 助け合い、教え合う動物たち

 第8章 長生きの理由

 第9章 家族内の争い

第3部 利他主義の謎

 第10章 協力の社会的ジレンマ

 第11章 罰と協力

 第12章 見栄の張り合い

 第13章 評判をめぐる綱渡り

第4部 協力に依存するサル

 第14章 他人と比較することへの執着

 第15章 連携と反乱

 第16章 パラノイア陰謀論

 第17章 平等主義と独裁制

 第18章 協力がもたらす代償

 

【はじめに】

 協力は、ヒトが備えた強大な能力であり、ヒトが地球上で生き延びるだけでなく、ほぼあらゆる環境で反映してきた理由でもある(P3)

 あらゆる生命体は、ゲノム(全遺伝情報)のなかで協力し合っている遺伝子で成り立っている。そこから一段階上がると、生物の進化の痕跡を見つけられる。複数の細胞が力を合わせて個体を形成している。大部分の種では、協力関係はそこで終わるが、例外はいくつかあり、そうした生物は地球上で最も繁栄した種でもある。ヒトもその1つだ(P3~4)

 

【第1部】

 フォレリウス・プシルスというブラジルのアリは、日中は地上で食物をあさるが、日が落ちると安全な地下の巣に引き込もるが、数匹の働きアリは外にとどまって、仲間の帰還を見届けてから、巣の入り口をふさぐ。そのアリたちは、一晩生き延びることができないし、巣の近くで息絶えれば天敵に巣の場所を見つけられる恐れがあるため、働きアリたちは夜の闇に向かって歩いていくことで、最後まで忠実に巣を守る(P4)

 遺伝子は、体のなかに隠れている。次の世代に受け継がれるために、遺伝子は最も外側の人形(繁殖のための乗り物)とともに移動しなければならない。しかし、あなたを構成している基本単位は、少なくとも原理上は、単体での繁殖が可能だ。遺伝子は必ずしも細胞の中に入っている必要はなく、細胞は体内になくても繁殖することができる。遺伝子から細胞、生物、そして集団へと複雑性の段階をあげていくためには、低い段に位置する基本単位が利己的な振る舞いを抑制して、協力し合わなければならない(P10~11)

 単独で複製できる遺伝物質の鎖から正真正銘の細胞への移行は、地球の歴史全体の中で一度しか起きていない。これまで生きてきたあらゆる生物のすべての細胞は、この原型に由来している。その後最初の真核細胞が出現した。これは植物、菌類、動物などあらゆる複雑な生命体に含まれる高度な細胞で、この移行も一度しか起きていない。その後、多細胞生物が登場した。進化の歴史では、大きな移行が起きているが、共通するのは、小さな基本単位がより大きなものの内部に取り込まれるという出来事だ。単独行動をとる者同士がチームを結成し、共通の目標に向かって力を合わせる歴史であり、生命の歴史は協力の歴史である(P11~12)

 地球上で最大の共同体は、アルゼンチンアリのスーパーコロニーであり、イタリアとニュージーランドのコロニーは、スーパーコロニーの一部である。様々な国や大陸に及ぶ何百万もの巣は、1つの女王アリ群の系統を引いている(P12~13)

 

【第1章】

 「目について熟考したダーウィンがぞっとしたのはなぜか」という問いは、自然界に見られる複雑なデザインの外観を説明するうえでの難題の核心をついている。ダーウィニズムの考え方では、複雑な適応は生物の身体能力や強みをわずかに向上させる段階を少しずつ踏みながら発達するものとされるのに、目は実際に物が見えて初めて機能するものだとすれば、中途半端にしかできていない目にはどんな使い道があるのか?今では複雑な目は段階的に進化したことがわかっている。光感受性を持つ細胞の単純な層として毎日の周期を調整していたことから始まり、その持ち主に有利になる特徴が段階的に加わっていった(P15~16)

 進化とは経年変化だ。生物学的には、1つの個体群で様々な遺伝子変異が現れては消えていく現象を示している。自然淘汰による作用により遺伝子がその持ち主に与える効果に応じて遺伝子頻度が変化する。形質に変化があり、その変化が子に受け継がれる場合、有益な形質をコードする遺伝子変異がその個体群に蓄積される傾向がある。ごくわずかな強みでもあれば、この変化の原動力が十分に働く(P17~18)

 遺伝子が利己的であるということは、その後の世代に自分が受け継がれるようにすることを指す。その観点では、「協力」など、個体の繁殖成功率や生存率を低くする継続可能な性質及びその土台となる遺伝子変異は、個体群から除外されることになりそうだ一見、これに反するかのようなP4のアリの行動はを理解するうえで肝要なのは、同じコロニーの仲間が極めて近縁であるという点を認識することだ。遺伝子の側からすれば、受け継がれる先が私自身の子どもであろうと、私の甥や姪であろうと関係ない。代償を伴う援助行動は、血縁者にもたらされる恩恵が、援助する側の個体にふりかかる代償に十分見合う場合に淘汰で残ることができる(包括適応度理論)(P18~20)

 個体同士が助け合う理由を考えるうえで血縁度は重要な要素であり、利己という概念をこのように拡大することによって、不可解だった行動をダーウィン進化論と結びつけることができたが、利益と代償の比較も重要だ。利益と代償は協力が選ばれる状況を決定する生物学的なパラメータであり、協力の選択を後押しするには、他者の援助に関連する代償を減らすことが1つの方法だ(P21)

 エナガ(群居性の鳥)は、たいていつがいだけで繁殖しようとし、精巧な巣をつくる。しかし、巣の大半が捕食者に見つかるため、ひなを無事に育て終えるつがいは5組中1組もない。繁殖期が終わろうとする頃に巣がダメになった場合、その不運なつがいは、たいてい近くの禁煙車を見つけ、その巣の子育てを手伝う。この事例では、援助に伴う代償は非常に小さい(P21~22)

 

【第2章】

 個体とは、すべての部分が共通の目標に向かって力を合わせる統一された連邦である(ルドルフ・フィルヒョウ)(P26)

 進化は、いくつもの構成要素を1つにまとめることによって、新たな個体を生み出した。遺伝子やゲノムが次世代に受け継がれるルートは、個体しかない。この状態が、遺伝子たちの共通の関心を1つの方向に向かわせる。互いに争うのではなく、力を合わせる刺激となる。彼らの共通の使命は、できるだけ優秀な個体をつくることだ(P26~27)

 進化は、適応度の低い変異を個体群から除外する。私たちは、設計上の特徴がどれぐらい一貫し、同じ方向を向いているかを見ることで個体であると確認できる。自然淘汰は、遺伝子そのものに直接作用するのではなく、その遺伝子を持っている個体の設計上の特徴に作用することによって、集団内の遺伝子変異をふるいにかける(P27~28)

 このように類推すると、社会性が極めて高い昆虫(アリ、シロアリ)のコロニー自体を個体、または超個体として考えることに説得力がでてくる。社会性昆虫のコロニーの構成部分となる昆虫の設計上の特徴や行動を理解するためには、生物の階層のさらに上、つまりコロニー全体に注目しなければならない。生殖可能な1匹の女王アリは多細胞生物の卵巣であり、働きアリは体の部位をつくり、体の働きを円滑に保つために必要な保守・修理の大部分を担う体細胞に相当する。生殖能力のない昆虫は、コロニーにいなければ進化上の失敗だが、コロニーにいれば進化上の奇跡となる(P29)

 ヒトの集団は親族以外に援助の手を差し伸べ、その相手から何の見返りも期待せずにいられる。しかし、ヒトの集団は超個体との主張には同意できない。個体の集まりが統合して新たな種類の個体を形成するためには、それらの関心がほぼ完全かつ永久にそろわなければならない。ヒトの集団では、2つのチームが互いに競争しているとき、チーム内の全員が共通の目的をもってチームの勝利に貢献しようとする。しかし、こうした集団ではメンバー間の争いが一時的に収まっているだけであり、結束して争う相手がいなくなると、参加者が競争で生き残れるかどうかはチームメイトを出し抜けるかどうかにかかってくる(P31~33)

 マイクロバイオーム(微生物叢)は、宿主に利益をもたらすこともあるが、害になることもあるから、大切なパートナーではあるが、あなた自身、つまり個体の一部ではない(P37)

 ミトコンドリアは、あなたの体を構成する1つ1つの細胞で内臓電池の役目を果たしており、個体の一部であるとみなしてよい。ミトコンドリアの獲得は、真核細胞の形成における重要なイノベーションだった。これは地球の生命史の中で一度だけ起きた出来事であり、これによって生命の系統樹に多細胞生物に至る分枝が加わった。ミトコンドリアからエネルギーを供給されるおかげで、真核細胞は原核細胞よりはるかに大きく(平均15000倍)成長できるようになった。エネルギーが増えたことで、真核細胞は代謝をあげることができた。より多くの活動が可能となり、たんぱく質の合成速度を上げることができるようになり、細胞は大きさも複雑性も増し、細胞内に多様な器官を生成して、それぞれに異なる機能を割り当てることができる(P37~38)

 1つのまとまった存在をつくるためには、それを構成している部品同士の争いを、ほぼ完全に抑え込まなければならない(P39)

 

【第3章】

 ミトコンドリアに含まれる少数の遺伝子は母親からしか受け継がれない。したがって、ミトコンドリアのゲノムに含まれている遺伝子は女性を好む。ゲノム内にこうした偏った嗜好性があるために、男女の間に明確な違いが生じることがある(母の呪い)。ミトコンドリアのゲノムの中に男性に極めて有害な結果をもたらす遺伝子があっても、それが女性に有利な形質を与えれば、ゲノム内の保持されることがある。主に思春期の男性が発症するレーベル遺伝性視神経症は、視神経が委縮し、最終的に両方の目が見えなくなる。カナダででは、すべての男性患者の祖先にある1人の女性がいた。この女性は、17世紀後半に「リトル・フランス」に移住させられ、1966年にケベック州で結婚し、5人の娘と21人のひ孫娘をもうけた。彼女たち全員が有害なDNAをもっており、その名残は今でも男性の子孫に残っている(P41~42)

 ゲノム内のせめぎあいは、マイオティック・ドライブ(減数分裂における分離化のひずみ)によって引き起こされることもある。一部の遺伝子は、分離の前に自分自身をこっそり複製して、受精した生殖細胞に必ず含まれるようにしている。このほか、自分が含まれていない生殖細胞を見つけて抹消する、沈黙の刺客のような遺伝子もある。人間のカップルの7人に1人が不妊に悩んでいるが、これはマイオティック・ドライブのように、利己的な遺伝子変異によって引き起こされていることが多いと考えるのが妥当と思う(P42~43)

 ある腫瘍ががんになるためには、①自らの増殖シグナル、②血管生成、③リソースの独占、④不死化、⑤転移能力等が必要だ。がん性腫瘍は多様な細胞からなり、それらが同調して機能することで、これらの特徴を獲得した可能性が高い。がん性腫瘍は、利己的なクローンではなく、協力的な群衆と考えたほうが理解しやすい。腫瘍は、多様なサブクローンで構成されているとの仮説は1970年代に提唱されていたが、30年近く無視されていた。(P45~46)

 ほとんどのがんは不均一性を持っている。腫瘍は多様な群衆であり、異なる種類の細胞同士が助け合っている。Aタイプのサブクローンの細胞が増殖因子を分泌し、それをBタイプのサブクローンの細胞が利用する。お返しに、タイプBは増殖抑制因子への反応を抑える分子を生成し、それをタイプAも利用するといった具合だ。最も進行が早く浸潤性が高い種類のがんは、こうした多様かつ相互共生的な群衆によって形成されている。よって転移性がんに対しては、細胞同士の共生関係を壊すことによって治療効果をあげられる可能性がある。腫瘍全体を攻撃するのではなく、腫瘍内のある細胞にとって欠かせない種類の細胞を狙うといったやり方だ(P46~47)

 ヒトを含めた大部分の多細胞生物はがんにならないようにするための非常に優れた能力を持っているのに、ヒトの半数はがんになる。生物が順調に生き延びて子を残している限り、淘汰は遺伝子の性質に対してそれほど強くは働かない(P48~49)

 

【第2部】

 集団をつくることで、個体は周囲の環境から受ける困難を緩和することができ、代償を上回る利益を得られる。集団生活には捕食者から身を守るという利点もある。群れの大きさNとして、自分がライオンにつかまる確率は1/Nとなり、Nが大きくなるほど捕まる確率は小さくなる(希釈効果)。捕食を避けられるという利点が、自由に動き回る単細胞から多細胞生物に移行した太古の進化を促していた可能性が見えてくる。単細胞の藻類が入った試験管に捕食者を加えると、単細胞同士が合体して8個の細胞の群れを形成する。このサイズには集団形成の代償と利益が現れている。個々の細胞が液体培地に含まれる栄養分を利用できるぐらいに小さく、かつ捕食者からの攻撃を避けられるぐらいに大きい。ただし、この種の集団は長続きせず、一定しない。群れの規模は捕食の脅威の大きさに応じて変わる(P52~54)

 安定した社会集団は、実際には特別なものである。共同生活の代償と利益が、進化を通じて慎重に評価された結果として生まれてきたものだ。人間は安定した家族集団でも暮らしているという点で大型類人猿とも異なり独特で、母親は出産のときに他者の助けを借りる。父親、兄弟、祖父母を含めたヒトの家族の進化は、ヒトが超協力的な種への道のりを歩むうえで重要な第一歩となった(P54)

 

【第4章】

 子育てはどのような種類であっても、もともと繁殖コストが高いものであり、種類によっては代償がさらに高くなる一方、リソースは限られている。リソースを使えば、その分将来ほかのことに使えるリソースが減る。親がリソースを使うのは、労力をかけても、その分子が生存上及び繁殖上の利益を受けられる場合だ(P57)

 見た目で雌雄を区別できない場合でも、子育てをしている者に注目することによって、性別の特定を試みることができる(P58)

 哺乳類の雌にとって妊娠は負担が大きいが、中でもヒトの女性はとりわけ大きな代償を払っている。新生児の脳の成長は遅く、脳の大部分は出生後に成長する。人間の妊娠期間の終わりを決めているのはエネルギー上の制限である。妊娠期間が終わりに近づくと、妊婦の基礎代謝は妊娠していない女性の2倍を超え、、許容できないほどの高さになる(P59~60)

 出産後も母親は父親より多くの労力を子どもに注ぐ傾向にある。哺乳類の場合、種の90%以上で子育ての役割を雌がすべて担っている。どの人間社会でも、母親の存在は父親の存在よりも子どもの長期的な成長と生存に重要な影響を及ぼしている(P60)

 ヒトの場合も通常、父親は育児に力を注ぐことによって、ほかに子づくりをする相手を見つけないですむようになる。その分エネルギーを減らすことができる。動物実験の多くのケースでテストステロンを投与された雄は、子づくりへの関心が高まり、育児への関心が低くなった。子どもが生まれたとき、父親の体内に循環するテストステロンの濃度が下がる(P61)

 雄は原理上、育児をする形質を獲得するよう進化することができたにもかかわらず、そうした負担の大きな役割(抱卵、妊娠、授乳)を雌が担うようになった。雌は自分がこの子の母親であることに確信を得やすいが、雄は確信しにくい。自分の子でない子の育児に労力を注ぐのは、進化の上では大きな代償を伴う失敗になりやすい。また雌はもともと存在する生殖上の限界に直面するのに対し、雄にはこのような限界がない。雌は大きな卵子をわずかな個数だけつくるが、雄は微小な精子を大量につくる。卵子は受精卵の成長を助けるための栄養分を含んでいるのに対し、精子は遺伝物質の断片を供給するに過ぎない。ほとんどの卵子はパートナーとなる精子を見つけられるが、精子の大部分は卵子を受精させることができない。雄の繁殖成功率は、どれだけ卵子を受精させることができるかに左右されるが、雌は生態環境でどれだけに時間とリソースが得られるかという厳しい現実に左右される(P64~65)

 こうした繁殖上の制限は、雄と雌が祖先から受け継いだ遺伝子を確実に次世代に受け渡すために使う手法に大きな影響を及ぼす。概して、雄の繁殖戦略は量を重視するのに対し、雌は誰と交尾するかにこだわり、繁殖のための貴重なエネルギーを優れた雄だけに使おうとするはずだ。しかし、自然界での観察例は、雄が一夫多妻と一夫一妻のいずれを選択するかは、新しい雌のパートナーの見つけやすさに左右される。この要素の1つが性比、雄の数:雌の数の比だ(P65)

 雌と一緒にいる雄は、新たな交尾相手を探しに行くのではなく、育児にある程度のエネルギーを注ぐことによって利益を上げられることがある。このことは雄が雌のそばにいて、ほかのオスとの交尾を阻止するようになった結果として、父親の育児行動が進化しうることを示す。2500種を超える哺乳類の交尾様式と育児行動の進化史を構築した結果を見ると、まず一夫一妻が出現し、その後に雄の育児行動が発達したという順序は全体的な傾向であると考えられる(P66)

 多くの研究結果から、男性の数が女性より多い場合、全体的には、男性は身を落ち着けて結婚したいという気持ちが強くなり、夫婦関係の安定性は高まる(P68)

 

【第5章】

 両親による子育ては、争いが起きやすい状況である。どちらの親も育児に注ぐ労力を少なくしたい誘惑にかられる。一方の親が少しだけ手を抜いた場合、もう一方の親は自分の仕事量を増やすが、すべて補われるわけではない。働き者が不足分をすべて補うと怠け者には手伝おうとする進化上の動機が生まれない。ほかの交尾相手を探しに行ったほうがよい。不足分を完全には補わなかった場合、怠け者は一緒に子育てを助けようという動機をより強くする。多くの研究で親鳥はこうした進化モデルの予測に合致することがわかった(P70~71)

 誰が子育てをすべきかという問題をめぐる争いは、雄と雌が現在の繁殖機会の間だけ一緒にいる状況で顕著になる。雌との繁殖機会が一度しかないと予測される場合、その雄は雌の将来の繁殖能力には全く関心がない。雄は雌がこの繁殖機会ですべてのエネルギーを自分の子に注いでほしいと思っている。一方、雄と雌がもっと長く一緒にいると予測される場合、争いは起きにくくなる。雄はパートナーである雌の将来の生殖能力により強く適応上の関心を持つ(P71)

 雌が乱婚である場合、雄は体の大きさに対して大きな精巣を持つ傾向がある。精巣が大きいほど、多くの精子がつくられるので、その持ち主たる雄は交尾の競争で効率的に戦うことができる。ゴリラの場合、1つの集団にいるすべての雌が支配的な雄と交尾する。ゴリラの精巣は体の大きさに比し小さい。チンパンジーは、雌は乱婚傾向が強く、発情期の多くの雄と交尾する。チンパンジーの大きな精巣は、ゴリラの200倍の精子をつくることができる(P73)

 ヒトの祖先の男性は、ゴリラのような習性をもたず、主に一夫一婦制をとる種に近い。精巣の大きさは、ゴリラとチンパンジーの中間に位置するが、ゴリラに近く、ヒトの女性は一生のうちに複数の男性と性関係を持っていただろうと推定できる。ヒトの祖先は一夫一婦制をとっていたが、連続単婚だった考えるのが妥当だろう(P74)

 妊娠糖尿病は、女性が血糖値を自分で調整できなくなる病気であり、その結果、赤ちゃんが異常に大きく成長し、場合によっては命に係わる。原因としては、成長する胎児の体内で母親と父親の遺伝子が争っていることだ。胎児の細胞には、母親由来の遺伝子と父親由来の遺伝子が含まれており、どちらの親に由来するかを伝えるマーカーが含まれている刷り込み遺伝子は、遺伝子発現を制御して、ある特定の遺伝子の効果をどれくらい出すかを決めることができる。胎児の中で、父親由来の遺伝子は、母親由来の遺伝子が供給したい量より多くの栄養分を求める。父親由来の遺伝子は、母親が将来産む子どもに関心がないので、母親の状態より現在の胎児のことを気にかけ、母親への要求を強めるように選択され、胎盤内の栄養分の伝達に関わる領域を選択的に発現させる。ヒトなど霊長類の血絨毛性胎盤は、子宮内膜にだけでなく母親の血管にも入り込む。胎盤の細胞は胎児に起源をもつため、胎児の都合によって働く。ヒトの場合、胎盤の細胞は母親の血液にじかに漬かっており、母親は胎児が受け取る栄養分を制御できない(P75~78)

 栄養芽層(母体の子宮に侵入した胎盤の細胞)には、転移性のがん細胞に似た特徴が数多くあり、急速に増殖し、組織内に侵入し、プログラム細胞死を実行する命令を無視する傾向がある。胎児がつくるヒト絨毛性ゴナドトロピンは腫瘍細胞によっても生成されることがあり、ヒトのがんの最大30%に存在する。浸潤性のある栄養芽層は、ときどき母体の誤った組織を乗っ取ってしまい、それが子宮外妊娠につながることがある(P79)

 貪欲な胎児にできるだけ多くの栄養を与えるためには浸潤性の胎盤が必要だが、そのため、がん細胞を含めたあらゆる種類の浸潤性の細胞から身を守る生来の能力を弱めてしまった(P80)

 日常的に授乳している女性は妊娠しにくくなる。夜間のよく目を覚ます赤ちゃんは、平均して、母親から絶え間なく世話をしてもらえる期間が長くなる。ヒトの赤ちゃんは頻繁に夜泣きして授乳をせがむことにより、将来の兄弟に対抗している(仮説)(P81)

 15番染色体のゲノムの一部欠失による遺伝子疾患に、プラダ―・ウィリ症候群とアンジェルマン症候群がある。前者では欠失した遺伝子は父親由来であり、母親由来の遺伝子のみが発現している。それらの子どもは母乳をあまり飲まず、泣き声が弱く、よく眠る。後者では母親由来の遺伝子が欠失しており、あまり眠らず、夜中に起きて母乳を求める(P81~82)