記憶は実在するか ヴェロニカ・オキーン著 2023年8月筑摩書房刊

(目次)

Ⅰ 私 たちは記憶をどのようにつくるのか

 第1章 始まり

 第2章 感覚~記憶の原材料

 第3章 メイキング・センス

 第4章 海馬の話

 第5章 第六の感覚~隠れた皮質

 第6章 場所の感覚

 第7章 時間と継続性の経験

 第8章 ストレス~思い出すことと、”忘れること”

Ⅱ 記憶は私たちをどのようにつくるか

 第9章 自己認知~自伝的記憶の始まり

 第10章 生命の木~樹枝状成長と刈り込み

 第11章 自己意識

 第12章 性ホルモンとムクドリ

 第13章 変わる人生のナラティブ

 第14章 虚偽か事実か

 第15章 いちばん古い記憶

あとがき

 

【第1章】

 症状と呼ばれるものは実際の知覚の体験である。人の声が聞こえるというのは主観的体験であり、その声が外の世界で生じたものか、脳の異常な神経発火で生じたものかは関係ない(P11)

【第2章】

 シャーロット・パーキンス・ギルマンの短編小説「黄色い壁紙」には、産後精神病のすべてがある(P20,P22)

 感覚がなければ記憶は生まれない。記憶とは、固定された知識の保管庫であるという考えが、生きた人間の動的な経験であるという考えに変わったのは重大な出来事で、この変化は、16世紀から17世紀の近代の科学的思考が始まったころに起きた(P24)

 進行麻痺(GPI)の症状は、背徳症として知られていた。1880年代、GPIは梅毒の末期症状に起こる脳の異常であることがわかり、ペニシリンが発見されてから、その治療は精神科から内科に移された。梅毒の原因であるスピロヘータバクテリアが特定されると、この病気は性の乱れからくる背徳的な病気ではなく、感染症として扱われるようになった(P25)

 精神病は、”心”の病気から”脳”の病気へと変わりつつある(P25)

 抗NMDA受容体脳炎は、幻聴や妄想など精神病的な経験と運動障害を伴い、しばしば精神病院に入院して診断を受けるが、この脳炎は、脳に多く存在するNMDA受容体のための抗体が原因で発症する自己免疫疾患である。2007年にこの精神病の原因が発見されて以来、さまざまな形の統合失調症について、自己免疫の要素があることを示す証拠が現れている(P26)

 感覚が知識と記憶の材料であることがどのように理解されてきたかという話は、神経科学、そして人権という近代の理念の物語の第1章である(P31)

 人間の経験を「体・心・魂」に分ける考え方は、今でもほとんどの文化に浸透している。それら宗教や霊的体系のすべてに共通する基準は、外から植え付けられる知識、第3の目、個を超えた力についての考え方である。神経科学は、第3の目現象から解放してくれる(P34)

 人間の場合、五感を通して世界を内部に取り込むが、これらの情報は絶えず記憶のネットワークへと送り込まれている。見たり触れたりすることで人は違う形を学習し、まず単純な知識が形成され、その上にもっと複雑な情報が追加されていく(P35)

 記憶とは、脳に送られた感覚情報の、果てしなく複雑な神経表現である(P35)

 何かが「見える」というとき、それはある画像を脳で見て、それを何かであると解釈しているということだ(P35)

【第3章】

 ものの見方は、経験によって得られた世界の枠組みから発達する(知覚的恒常性)。知覚的恒常性がないと刺激を受けるたびに評価をやり直さなければならないのでそれ自体は必要だが、一方で偏見の基礎にもなる(P51)

 視覚は、すべての感覚と同様、記憶と切り離すことができない。その2つが織り交ぜられて知覚を形成する(P52)

 私たちの脳には、ソフトとハードの神経接続が混ざっている。その接続は胎内で形成される初期の神経回路から発達し、経験の世界からのインプットで成長する。感覚情報は、経験を通して記憶が複雑になるにつれて区別されるようになる。これが知覚と知覚恒常性の基礎で、ヒトはその中で自然に世界をフィルターに欠けている。人はそれぞれ独自のフィルターを持ち、それが私たちの記憶である(P55)

【第4章】

 「時間・場所・人」というフォーマットは、私たちの人生の始まりとともにその中にあったと考えるのは間違いだ(P56)

 皮質のさまざまな位置にある感覚記憶は、皮質からニューロンを通じて海馬へと集まる。信号が皮質から届くと、海馬の細胞層で処理され、海馬細胞の間の新しい接続をつくる、信号が海馬のニューロンを接続させ新たに接続された海馬ニューロンは、基本的に感覚皮質からの神経信号の記憶コードである(P66)

 脳組織が傷つけられると瘢痕組織が形成される。てんかんはこの瘢痕組織によって引き起こされることが多い。信号が瘢痕組織によってふさがれ、電気エネルギーが増大すると、脳の回路の中で電気信号が抑制なく広がる。脳は海馬をハブとするさまざまな回路の巨大なネットワークで、もし電流がここで調節されないと、脳全体の電流が乱れ、過剰な興奮を起こしうる(P67)

 海馬を失うと、自伝的記憶や出来事記憶は保持できない(P69)

 神経信号の電気化学エネルギーが流れることを通じて、樹状突起が形成され、細胞がともにつながり、細胞集成体としてまとまる。つながった細胞集成体は、その後、1つのまとまりとして発火し、集成体のどれかが刺激を受けると、すべてのニューロンが発火する。この細胞集成体が記憶である。つまり、接続されて1つのまとまりとして発火する細胞からなるニューロンのコードが記憶である(ドナルド・ヘップの仮説)

 ニューロンには最高1万5千の樹状突起があり、人間の脳には680億のニューロンがある。樹状突起と新たなシナプス形成によって、無限の接続の可能性がある(P70)

 短期記憶の形成においても、重要なプロセスでは、細胞がともにつながるのに十分な長い時間とともに発火することが必要だ。ともに発火すると一時的な記憶がつくられ、ともにつながることでより永続的な記憶となる。コード化された細胞集成体が強化されるプロセスを「固定化」という。目を覚ましているときは情報が絶えず脳に入っていくが、そのほとんどは固定化しない。分子レベルでは、発火した細胞集成体からしっかりとつながった記憶ができるかどうかは、入ってくる信号の強さを左右する多くの要素で決まる。信号の強さが一定の基準にあれば、ニューロン樹状突起用のタンパク質をつくり、記憶はより永続的なものとなる。信号が弱ければ、細胞集成体の発火は衰え、つながりもなくなる。樹状突起を育てるためには、細胞はエネルギーが必要で、そのエネルギーはニューロンの電気活動から生じる(P70~P71)

 海馬のニューロンシナプスが絶え間なく増加し、つくり直しができる(可塑性)記憶力の低下は一般的な老化現象の一部であり、MRI画像では海馬の縮小がみられる。うつ病では左側の海馬が小さくなり、症状の頻発、長期化によりその差が大きくなる。右の海馬は場所の記憶に、左側は自伝的記憶にとって重要性が高い(P72)

 海馬と皮質の間には常にやり取りがあり、記憶の大半は最終的に皮質に保管される。皮質のニューロンは、可塑性が低い。皮質に定着した記憶マップは相対的に変化しにくく、打撃も受けにくい。しかし、皮質の記憶は不変ではなく、一生涯可塑的な海馬と交流している(P73)

 出来事記憶と自伝的記憶の保管は、海馬と脳前部の皮質領域、前頭前皮質ニューロンとの継続的な相互作用の中で行われている。古くなった記憶は海馬から皮質へと広がり、そのプロセスは数か月から数年かけて起こることがある(P74)

 海馬は基本的に最近のことを思い出したときに活性化し、前頭葉はもっと昔の出来事を思い出すときに関与している(P74)

 毎日の記憶が皮質に行くプロセスのほとんどは睡眠中に起こるようだ。REM睡眠時に頭皮で測定した電気的活動の記録は、海馬の細胞集成体を結合させる発火の記録によく似ている。睡眠中の脳の細かな電気周波は、毎日海馬から送られてくる新たにつくられる記憶を皮質が素早く処理していることを示す(P76)

【第5章】

 臭神経は鼻の裏側から偏桃体に送られる。この偏桃体が記憶を想起する仕組みの中心にある。偏桃体は海馬のすぐ前にあり、それら2つは互いにしっかり接続し、偏桃体から情動シナプスが海馬へと紡がれている。偏桃体~海馬の接続が、情動記憶の基盤をつくる(P82~P83)

 偏桃体も可塑性があり、シナプス結合がすぐにつくられる。感覚皮質、特に視覚野と直接つながっていて、映像を見たときの情動反応を助長する。(嗅覚は、他の4つの感覚と異なり、鼻からのにおいニューロンはまず偏桃体に行く。そのためにおいを感じるとすぐに感情の記憶が呼び覚まされる。においは、感情として記憶される(P83)

 偏桃体は情動をつくり出すものではなく、神経センサーであり、そこからニューロンが現れて体内に情動をつくる(P84)

 人が恐怖を感じるとき、脳のMRI画像では偏桃体が明るくなる(P86)

 感情は体内器官の活動から生まれる。偏桃体ないし視床下部がその活動を指示する。点火して活動を起こすシステムは、自律神経系(ANS)である。これは体内のすべての期間を刺激する。視床下部は偏桃体のすぐそばでつながっている。脳の複数の回路(特に重要な偏桃体~海馬)が視床下部に集まっていて、そこへのインプット量でANSへのアウトプットが決まる。視床下部は、記憶~情動の脳からのアウトプットがすべて集まり、そこから体に向かってANSと内分泌系に変化をもたらす部位である(P87~P88)

 一次的感覚は体(ANS)の感覚で、二次的感覚は、これを恐怖、愛、嫌悪など、標準化された情動として解釈した感覚である(P92)