(目次)
INTRODUCTION 超長期の世界を見つめる人口統計
PART1 コイタス、クワイタス、エクソダス 誕生、死、移住が世界を変えていく
CHAPTER1 誕生の意味 若者たちが生み出す不安定
CHAPTER2 灰色の夜明け 先進国から始まった人口高齢化はどう展開していくのか
CHAPTER3 10億とおりの死に方 健康状態、感染症の蔓延、政情不安、内戦
CHAPTER4 移動する人々 移住者が世界の政治・経済・社会を変えていく
PART2 人口動態はいかに世界を形成するか
CHAPTER5 戦争と子宮戦争 人口で変わる政治、勃発する内戦
CHAPTER6 マルサス対マルクス 人口構造の変化と人口ボーナス
CHAPTER7 世界人口の未来 希望ある地球のために、いま、私たちにできること
【INTRODUCTION】
21世紀のストーリーの核は、指数関数的な人口の増加ではなく、格差の拡大=最富裕国と再貧困国との間に、苛酷なまでの格差が広がっていること(P9)
人類史上最も高齢化した社会が実現している上、富裕国と貧困国の出生時平均余命にはこれまでにない隔たりが生じている(P9)
国レベルであれ、国内の地域レベルであれ、人口の増加と減少が集中している場所とその人口の特徴こそが、人口統計のデータと政治・社会・経済との真のつながりを浮き彫りにする(P9)
中位数年齢が18歳のナイジェリアは人口の半数以上がこどもや10代の若者だ。この巨大なコーホート(ある特定期間に出生した集団)は、ほどなく母親や父親になる。アフリカの経済成長のエンジンであると同時に、スンニ派過激組織ボコ・ハラムの活動拠点でもあるナイジェリアは、人口が若く出生率も高いため、2050年にはアメリカを上回り、現在の2倍の4億人を超えると見込まれている(P10~P11)
世界人口は21世紀も増加し続けるだろうが、その増加の98%はナイジェリアのような途上国で起こる(P11)
人口の増加それ自体は悪くないのだが、大勢の人々を受け入れる余裕が教育システムを含む体制、あるいは経済にないのであれば、社会全体に負荷がかかる。するとアフガニスタンの人々は苦しみ、アフガニスタンの平和と繁栄に関心を持つ国々は失望することになる(P13)
東アジアでは、1960年代から1990年代にかけて出生率が急激に低下し、家庭も政府も子どもの扶養にそれほど財源を割かずに済むようになり、若者の数が減った分、企業は労働者にボーナスを支払えるようになり、1人当たりの収入も増加した。この期間に東アジア諸国が急速に経済成長を遂げた「東アジアの奇跡」の33~44%は、人口転換の影響を受けている(P14~15)
人口転換とは、多産多死から少産少死への移行(P16)
(人口転換の各段階)(P16)
出生率 死亡率 全体の人口増加率 要因
第1段階 高い 高い 停滞
第2段階 高い 低下 高い 医療の質向上、衛生状態改善
第3段階 低下 低い 緩やか
第4段階 低い 低い 大幅低下
今日、世界の再貧困国、特にサハラ以南のアフリカの一部の国では人口転換が進んでいない。つまり、今後数十年の動向を予測するのであれば、世界の再貧困国の大半では、依然としてすさまじい人口増加と、極めて若い人口という状態が続くことを覚悟しなければならない(P18)
人口の構成要素:規模・性別・年齢(P46)
人口規模がどんな方向に、どんなスピードで変化しているのかは、人口が変動する重要な原因となっている(P47)
より興味深いのは、出生・死亡・移動の多様性から生じる人口構造の変化だ(P47)
アイデンティティとは、民族・人種・宗教の組み合わせの1つのタイプだ(P47)
【CHAPTER1】
インドの真の問題は、人口過多ではなく貧困だった。所得が増えればインドの人々は自然と少人数の家族を好むようになったはずだ。教育を受けられるようになり、自ら家族計画を立てられるようになれば、子どもは多ければいいわけではないと自覚できただろう(P60)
若い年齢で子供を産めば、家庭の外で人生を生きる個人の機会が制限され、世帯当たりの所得を増やすこともできなくなる。第一子出産の平均年齢を遅らせる1つの方法は、早婚を妨げることだ。また女子が今より長く学校に通えるようにすれば、家庭を持つ時期を遅らせることができる(P64)
出生率を下げるためのもっと一般的で、特に低所得者を対象とした対策は、次の出産までの間隔を長くする方法だ。例えば、乳児を2歳まで母乳で育てなさいと推奨すれば、産後の月経開始時期を遅くできるので。次の出産までの間隔を長くできる(P64)
一般的に、生活水準の向上、死亡率・就学率の改善が、より少ない数の子供を望む結果につながっている。とりわけ中等教育は結婚と出産の時期を遅らせるうえで役に立つ(P66~P67)
サハラ以南のアフリカは、生活水準の向上、死亡率の低下、教育の普及において、ほかの地域と比べると大きく後れを取っている(P67)
大半の人口統計学者は、アフリカは都市化し、発展を遂げるにつれ、出生率は下がると考えていた。しかし予測は外れた(P68~P69)
チュニジアでは労働者は大勢いたが、仕事がほとんどなかった(相対的剥奪)ため、革命のために武器を手に取る「機会費用」は低かった(P88~P89)
第一次世界大戦後、ドイツでは10代後半から20代前半の若者の人口比率が最も高くなったが、働き口がなく、未来への希望も持てない若者たちは、働き口をもたらすと過激な約束をしてくれる相手を探した。不況のさなかの1930年、18%を超える有権者がナチ党に投票した(P89~P90)
1979年のイラン革命では、その4年前、イランの15~24歳の人口は、15~64歳の成人人口の37.7%を占めていた。毎年大量の若者が労働市場に参入していたが、皇帝は労働集約的産業への投資を怠り、機械化を促進する資本集約型産業に注力したため、数百万人の失業者を生み出していた(P91)