ステージ4の緩和ケア医が実践するがんを悪化させない試み 山崎章郎著 2022年6月新潮社刊

(目次)

はじめに

第1章 やはりその日はやって来た

第2章 ステージ4の固形がんに対する標準治療の現実

第3章 「がん共存療法」の着想

第4章 DE糖質制限ケトン食

第5章 次なる戦略

第6章 「がん共存療法」の見直し

第7章 臨床試験に臨みたい

 

【第1章】

(経過)(P16~31)

2018年6月、下腹部を中心に腹鳴が頻回になり、大腸がんを確信

2018年9月半ば、検査

2018年11月初旬、手術

2018年11月下旬、摘出標本の病理検査結果。切除したリンパ節に転移があり、ステージ3の大腸がんであることが判明。ステージ3の標準治療である再発予防目的の経口抗がん剤ゼローダ服用勧奨。服用により5年生存率が上昇(70%⇒80%)

2018年12月初、ゼローダ服用開始。2クール目から副作用出現(食欲低下、嘔気、手足症候群)4クール終了時点でギブアップ(手足症候群悪化)1カ月休み、ゼローダ再開(減薬)

2019年5月下旬、8クール予定時の外来で、両側の肺に多発転移(1センチ前後)を告知⇒ステージ4に移行。次の段階の抗がん剤治療が標準治療。鎖骨下静脈からの点滴で抗がん剤投与を告知

2019年6月下旬、「免疫療法」を受けるクリニックを受診。従来の免疫療法に免疫チェックポイント阻害剤を併用。保険適用外のため高額(P51)

2019年8月半ば、「免疫療法」を中止決定(P52)

2019年9月初め、CT検査で転移病巣は縮小傾向であり、治療効果が認められると説明があったが、治療終了を申出(P53)

2019年9月中旬、EPAたっぷり糖質制限ケトン食を開始。糖質30g/日以下、MCTオイル40g/日を目標(P89,95)

2019年10月初、主治医診察。ビタミンD強化EPAたっぷり糖質制限ケトン食(=DE糖質制限ケトン食)に進化(P90,P106~107)

2019年12月中旬、CT検査。肺の多発転移病巣はほぼ消失。残っている転移病巣も縮小(P108~109)

2020年4月初、CT検査。残存していた転移病巣中最大のものが増大傾向。他の転移病巣はそのまま(P111~112)

2020年4月末、DE糖質制限ケトン食をベースにクエン酸療法を開始(P121)

2020年7月初、CT検査。4月に増大していた転移病巣が縮小。他の小さな転移病巣は不変(P122)

2020年9月半ば、CT検査。縮小していた転移病巣がやや増大(P124)

2020年10月初、クエン酸摂取を夕食後に変更(P125)

2020年12月初旬、CT検査。全体として前回CTと同じ(SD=安定している状態)(P130)

2021年2月、丸山ワクチンの有償治験に参加(P135)

2021年4月初、CT検査。転移病巣の一部が増大(P139)

2021年4月中旬、メトホルミンの服用を夕食前(従前は夕食後)に変更、昼食前にも服用(追加)

2021年7月、CT検査。

 

【第2章】

 奏効率が20%前後で、その抗がん剤は有効とされる(P39)

 奏効率=著効率+有効率

 著効:がんが消失

 有効:がんが半分以下に縮小

 オプジーポ(免疫チェックポイント阻害剤)の奏効率は従来の抗がん剤と同等。生存期間の延長効果は2.8カ月。期間限定の延命チャンスが出現したということ(P40)

 私(著者)の17年間の在宅緩和ケアの経験では、通院が困難になるほど病状が悪化し、抗がん剤治療は終了と言われて、在宅療養を開始した患者さんの約1/4は2週間以内に、半数は1か月以内に最期を迎えている。残り半数の中には稀ではなく在宅医療開始後、だんだん元気になる人がいる。抗がん剤治療を中止したことで、副作用が軽減した(P42~43)

 ステージ4の固形がんについては、エビデンスに基づいた抗がん剤治療が最善とされる。それは治療を提供する医師から見た「最善」であり、限られた時間を生きる患者にとっては最善とは限らない(P54~55)

 

【第3章】(略)

【第4章】

(参考図書)(P79)

宗田哲男著:ケトン体が人類を救う~糖質制限でなぜ健康になるのか

古川健司著:ケトン食ががんを消す

福田一典著:ブドウ糖を絶てばがん細胞は死滅する~今あるがんが消えていく「中鎖脂    

      肪ケトン食」

古川健司著:ビタミンDとケトン食 最強のがん治療(P105)

福田一典著:クエン酸ががんを消す~代謝をターゲットにしたがん治療の効力(P115)

高橋豊著:個々の適量による化学療法~がん休眠療法(P146)   

 

 妊娠初期には絨毛から、中期~後期には胎盤となる器官から高濃度のケトン体が検出される。胎児には、絨毛や胎盤から臍帯を通してケトン体が送られている。胎盤の組織内や臍帯血の血糖値は低値である。新生児も胎児同様、血中ケトン体濃度は高値で、血糖値は低値である(宗田医師の発見)(P80~81)

 胎児や新生児は糖質よりもケトン体で成長しており、糖質に変わり得る安全・安心なエネルギー源である(宗田医師の主張)(P81)

 糖尿病性ケトアシドーシスは、意識障害を伴う生命に危険な病態とされるが、その時のケトン体濃度は高くないこと、本当の理由は急激で過剰な糖質摂取を制御できないインスリンの分泌不能が病気の本質である。ケトン体には毒性がなく強い酸でもない(宗田医師の主張)(P79~81)

糖質制限ケトン食の根拠)(P83~85)

①がん細胞はブドウ糖を主な栄養源としている。糖質の多い食事はブドウ糖の重要な供給源となる

②糖質の摂取により追加的なインスリンが分泌される

インスリンには細胞の増殖と代謝を促進する作用があるため、インスリンはがん細胞の増殖も促進する

IGFー1(インスリン様成長因子ー1insulin-like growth factor-1)は、がん細胞の増殖を促進する。インスリンIGF-1の活性を高める

インスリンの追加分泌により、インスリンIGF-1の両者により、がん細胞の増殖が促進される

⑥正常細胞は、ケトン体をエネルギー源にできる。赤血球と肝臓はケトン体を利用できないが糖新生により供給可能

⑦ケトン体には抗がん効果があり、その抗がん効果は、血中ケトン体値が1000μm/l(=1.0mmol/l)(基準値28~120μm/l)を超えるとがんが縮小or消滅or腫瘍マーカー値が下がる(米アルバート・アインシュタイン医科大学の臨床研究結果)

抗がん剤はがん幹細胞への効果は低いが、糖質制限は攻略の手段になり得る

EPAの抗がん効果)(古川医師の主張)(P87) 

①血管新生を抑制、がん細胞の転移を抑制、がん細胞のアポトーシスを誘導する

②炎症反応を抑えることでがんの進行を抑制する

③がん細胞の細胞膜を柔らかくし、がんの悪性度を軽減する(抗がん剤を聞きやすくするの意?)

 古川医師は、EPAを4g/日以上接種を提唱している。イワシ、サバの水煮缶には3~5g含まれる(P87)

 MCTオイルは「日清MCTオイル100%」を利用。、摂取目安料2g/日とされているが、がん治療目的のため40g摂取。短時間で大量摂取により腹痛を生じる(P95)

 血糖値測定のため「FreeStyleリブレ・センサー」「FreeStyleリブレ・リーダー」を使用。センサーは24時間連続して血糖値変動をモニター、14日間稼働。リーダーは充電式、手のひらサイズ、軽量。ネット通販で各5000~7500円。食事のたびに、食直前1回、食後30分間隔で4回、計測(P98~99)

 ケトン体は、アセトン(呼気中に排出)、アセト酢酸(尿中に排出)、β-ヒドロキシ酪酸(アセト酢酸に変化して尿中に排出)の総称。β-ヒドロキシ酪酸血中濃度は、「FreeStyleリブレ・リーダー」で計測可能。著者の場合、2.0~3.0mmol/lの数字が示されたが、古川医師が、「がん細胞が縮小・消失する目安として示した1000μm/l」を超えている(P100~101)

 尿中ケトン体測定は、「ウリエース-Db」(スティック状の検査用紙)。これを尿中に1秒つけて20秒後に判定。ケトン体がマイナス0から高濃度の3までの4段階で表示。毎回3と判定された(P102)

 終末期がんを含め、多くのがん患者の血中ビタミンD濃度が正常値(30~100ng/ml)よりかなり低いことを踏まえ、がん治療のためには適切なビタミンD濃度とケトン食の両方が必要(古川医師提唱の「免疫栄養ケトン食」には限界があったとしてビタミンDの追加を提案)(P105)

(ビタミンD(60ng/ml)の抗がん効果)(古川医師の主張)(P106)

①がん細胞の増殖抑制

②がん細胞のアポトーシスの促進

③がん細胞の血管新生の抑制

 著者の血中ビタミンD濃度は33ng/mlで正常値下限でがん治療には不足だったので、サプリメント(60錠600円)のビタミンDを5錠/日服用で70ng/mlを超えるようになった(P106)

 

【第5章】

クエン酸療法)(福田医師の主張)(P116~118)

①経口摂取したクエン酸も細胞内に取り込まれるため、細胞内のクエン酸濃度が過剰になる⇒細胞がエネルギー産生を抑制⇒エネルギー源であるブドウ糖の細胞内への取り込みを抑制⇒がん細胞によるブドウ糖の取り込みが抑制される⇒がん細胞を弱らせる

②がん細胞の無制限の増殖、周囲組織への浸潤、遠隔臓器への転移を抑制

③T細胞の動員と活性化を促進

IGF-1受容体の活性化を阻害

⑤がん細胞が増殖する際の、DNAの遺伝情報の伝達を抑制

 福田医師の推奨方法は、10~15g/日のクエン酸を500mlの水に溶かして3回に分けて毎食後飲む(P118)

クエン酸療法の注意点)(P119~120)

クエン酸は、がん細胞の細胞膜を構成する脂肪酸合成の原料となるので、クエン酸からの脂肪酸合成を阻害するメトホルミンの併用が必要

クエン酸は、がん細胞増殖に必要なコレステロールの原料になる。高コレステロール血症治療薬シンバスタチンはコレステロール産生を抑制するので、併用が必要

③がん細胞は、コレステロール増加酵素の産生を増やすので、δ-トコトリエノール(ビタミンEの一種)の併用が必要

④シンバスタチンとδ-トコトリエノールの服用により体内生産が阻害されるコエンザイムQ10をサプリで補う

 丸山ワクチンは、結核に罹患しているがん患者はがんの進行が遅いことに着目して開発、使用され始めたワクチン。エビデンスはない。有償治験として、1クール20回分、(1日おきの注射で40日分)で9000円負担。皮下注射が難点(P134)

 泌尿器系のがんで、肝臓、肺への多発転移のある患者(ステージ4:60歳代、余命半年)は、痛みは鎮痛剤でコントロールされていたが、在宅治療後4カ月時点で体調良好CT検査で大元のがんをはじめ、肝臓、肺の転移病巣のいずれも退縮していた。糖尿病治療薬スーグラが抗がん効果を発揮した可能性がある(元主治医の見解)

 

【第6章】

 メトホルミンの服用時間帯を食事前に変更した理由は、食前に服用することで、より確実に食後血糖値の上昇を抑え、インスリンの追加分泌を抑えることを企図したため。糖質制限しても体に必要なブドウ糖は、たんぱく質、脂肪を材料として、糖新生という形で肝臓で産生されており、がん細胞が必要とするブドウ糖は、いつでも一定量は供給されているため、糖質制限が、がん細胞が必要とするブドウ糖をストップするという目的であれば、その目的は果たせないことが明らかになったから(P144~145)

 メトホルミンは、インスリンの追加分泌の抑制及び、クエン酸療法によるがんの脂肪酸合成の阻害の2つの役割で、がんの増殖を抑制することになる(P145)

◎メトホルミンは、「膵β細胞のインスリン分泌を介することなく血糖降下作用を示す。血糖降下作用の主な機序として、(1)肝での糖新生抑制、(2)末梢での糖利用促進、(3)腸管からのグルコース吸収抑制」(医療用医薬品情報)とされている。

 

 

武士の家計簿 磯田道史著 2003年4月新潮社刊 新潮新書

(目次)

はしがき 「金沢藩士猪山家文書」の発見

第1章 加賀百万石の算盤係

第2章 猪山家の経済状態

第3章 武士の子ども時代

第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ

第5章 文明開化のなかの「士族」

第6章 猪山家の経済的選択

あとがき

 

【第1章】

 猪山家の家計簿は、天保13(1842)年7月から明治12(1879)年5月まで37年2か月間書き続けられている。弘化2(1845)年3月11日から翌年5月15日までの1年2か月分が欠けている(P15)

 猪山家は加賀藩の御算用者(算盤係:会計処理の専門家)(P16)

 猪山家は当初、前田家の陪臣(菊池家の給人)。5代目猪山市進(いちのしん)が享保16(1731)年、前田家の直参に加わった。御算用者として採用。菊池家の家政を担う中で算盤をはじき帳簿をつける技術を磨いた(P19)

 江戸時代の武士社会の弱点は、行政に不可欠な算術のできる人材不足。算術を賤しいものと考える傾向があり、近世武士の世界は世襲の世界だが、算術は世襲に向かない。藩の行政機関は厳しい身分制と世襲制だったが、算盤がかかわる職種のみ例外で、御算用者は比較的身分にとらわれない人材登用がなされていた。幕府の勘定方も同じ(P19~20)

 算術から身分制度が崩れるという現象は、18世紀における世界史的な流れ。大砲と地図がかかわる部署で、砲兵将校、工兵、地図作成の幕僚は、弾道計算、測量で数学的能力が必要(P21~22)

 武士の世界では、1つの家からお城に上がって勤務するのは、上士(士分以上)では原則として当主と嫡子のみ。次男以下は勤務の席がない(他家に養子に行くしかない)

が、下士(下級武士)の小役人の出仕は、機会・能力次第で、次男以下もチャンスがあった(P24~25)

 武士の家計簿を残したのは、猪山佐内綏之(やすゆき)(一進の二男)。明和8(1771)年御算用者に正式採用。切米40俵。天明2(1782)年前藩主前田重教の御次執筆(ご隠居様の居室に隣接した御次の間に控えて御用を聞き帳簿をつける役目。書記官)(P25)

 7代猪山金蔵信之は綏之の婿養子。婿養子は日本的な制度。中国、朝鮮は婿養子が少ない。「祖霊は男系子孫の供物しかうけつけない」とする厳密な儒教社会から見れば、婿養子制度は考えられない「乱倫」の風習(P29~30)

 文政4(1821)年9月、46歳のとき、会所棟取役・買手役兼帯(加賀百万石の買物係)に就任。江戸詰めになり出費激増。出世と俸禄加増だが出費はそれ以上(P31)

 文政10(1827)年3月、御住居向買手方御用ならびに御婚礼方御用主付に就任。藩主前田斉泰が将軍家斉の娘溶姫と婚姻。婚礼の準備係(御殿をつくり、調度品を調達、諸方との祝儀の贈答)で、婚儀に関わる物品購入を一手に引き受ける仕事。加賀藩は財政が破綻している状態で、内輪向きの費用を削り、婚儀は成功させる(P32~34)

 10月、新知70石の沙汰=領地を分け与える(P35)

 知行取(給人):主君から領地を分与された武士

 無足:米俵、金銀で俸給を支給される武士

 江戸時代、知行地を与えられても、実体はない。石高に応じた年貢米が藩庫から運ばれてくる制度が存在した(蔵米知行、蔵米地方知行)故、自分の知行地を一度も見ることなく死ぬ武士は珍しくなかった。近世武士(薩摩藩仙台藩を除く)にとって、領地とは紙の上での数字と文字にすぎなかった(P36~38)

 本来、領地の支配には、次の行為が必要(地方知行制)だが、たいていの藩では藩の官僚機構が代行した(P38~39)

①勧農:現地に赴き、農作を励ます

②裁判:領地での事件・訴訟を処断・裁決

③租率決定:田畑の様子を観察し、租率を決定

④年貢収納:年貢を取る

 明治維新で武士階級が簡単に経済的特権を失ったのは、現実の土地から切り離された領主権は弱く、トップダウンの命令1つで比較的容易に解体された。ただし、武士の領主権が現実の土地と結びついていた鹿児島藩では、西南戦争など激烈な士族反乱を招いた(P40~41)

 国家は、その時代ごとに最も金を食う部門を持っている。江戸時代は大奥、近代は海軍。猪山家は江戸時代には姫君の算盤役、近代は海軍に配属され、主計トップとして海軍の経理を任された(P42~43)

 8代目直之は4男。御算用者は専門技術で仕える家芸人であるため相続原則が緩やかで、長子相続は絶対ではない。直之は出来が良く、天保9(1838)年には、26歳で中納言様(藩主)御次執事役(現職藩主の書記官)に抜擢された。ただし身分と俸禄は低い(40俵)(P43~44)

 

【第2章】

 猪山家は、俸禄を加増されたにもかかわらず、多額の借財を抱え、家計が回らなくなっていった。江戸詰めの役目を申し付けられたことが原因だ。江戸時代の武士の俸禄制度は、現在の職務内容と関係のないところ(家柄、先祖の手柄)で禄高が決まっていた(P47~48)

 猪山家の俸禄は、信之(知行70石:銀1321.3匁)、嫡子直之(切米40俵:1754.89匁)合計銀3076.19匁。丁銀など銀貨で約3貫目(=3000匁=11.25㎏)。銀1匁=4000円として合計1230万円になる(P51~55)

 天保13(1842)年7月11日時点で、猪山家の負債総額は銀6260匁。借金の利子の年利18%が多く、15%は低いほうだった。鳥取藩士の場合、年収の2倍の借金は平均的な姿だった。幕末になると、武士の多くは過剰債務を抱え、高金利で首が回らなくなっていた(P56~57)

 大名や旗本の借金は金額が大きいので大名貸、札差・蔵宿などの大商人だが、一般の武士は不明。猪山家の場合は、①町人(48%)、②藩役所、③武士(親類)(32%)、④武士(親類以外)、⑤知行所(村方)(P56~58)

 前近代社会は身分で人が分断されていた社会であり、身分を超えて金を貸すリスクが非常に大きかった。武士の年貢米を町人が取るのは困難であり、借金を踏み倒されても江戸時代の裁判制度は「金公事」を確実に処理するようにはできていない。藩は強制執行してくれない。⇒武士は武士身分内部で貸借関係を発達させるしかない⇒同僚、親戚間で無担保高利融資。特に武士同士の頼母子講(無尽講)は盛ん(P59~60) 

 猪山家は、天保13(1842)年夏、借金整理を決意。猪山家の家計簿もこの決意のもと作られた。家財道具を売り払い。直之44品目、841.75匁。信之24品目、812.17匁。妻お駒13品目、713匁(婚礼衣装の加賀友禅)、母7品目、197匁。合計88品目、2563.92匁。妻の実家が銀1000匁を無償提供、勤務先から500匁借用、大口融資先に元金4割返済、残6割を無利子10年賦で交渉し応諾。結果、借金総額2600匁、ほとんど無利子(P60~68)

 江戸時代は、武士が経済総生産の相当部分を取り上げて消費していた時代。前期50%近く、後期25%程度。猪山家の手取り収入(可処分所得)は、銀2632.28匁、消費支出2418.12匁、黒字214.16匁。消費性向(=91.9%)は高い。現代日本の勤労者世帯は、83.8%(1963)⇒72.1%(2001)(P72)

 武士家計では祝儀交際費、儀礼行事入用の比率がずば抜けて高い。「武士身分としての格式を保つために支出を強いられる費用」を支出しないと、江戸時代の武家社会から確実にはじき出され、生きていけなくなる。江戸時代初期は、身分費用(=その身分であることにより不可避的に生じる費用)が、身分利益(=その身分であることにより得られる収入・利益)より、はるかに大きかったが、幕末には、武士身分の俸禄カット等により、バランスが崩れた。明治維新により、武士は身分的特権(身分収入)を失ったが、同時に身分的義務(身分費用)からの解放する側面もあった。武士の多くが抵抗しなかったのは、身分費用の問題がかかわっていた可能性がある(P74~77)

 武士は「親族の世界」で生きており、婚姻、養子を通じて生じる縁戚関係によって形成されることが多い。①武士の金融は、親類関係に大きく依存。②武家社会で生きていくうえでの情報や教育の面でも、親族は重要。江戸時代は平均寿命が短く、当主が早世して、幼い維持が後を継ぐとき、武士の作法・役所のしきたりを伝授するのは伯父(叔父)などの親類。連座制の存在により親族は運命共同体。③男子が生まれなかったとき親族と相談して養子をとる(親族が頼り)(P81~84)

 江戸時代は、世襲身分制の社会であり、武士は「先祖のおかげ」で武士の地位についていた。なので由緒筋目の源泉である「親類と先祖」との交際が欠かせない。先祖との交際は、祭祀行為だ。仏壇への花代、菩提寺への喜捨、仏様へのお供え等も身分費用(P84~85)

 家来給銀等は、家来や下女への人件費。正式な外出には家来同伴。母や妻の外出には下女。武家屋敷では、男は男の指示系統、女は女の指示系統で動いた。男家来の年間給銀は83匁、下女は34.75匁。ほかに毎月50文の小遣銭、正月・盆暮れの祝儀。他家にお使いをすれば15文の祝儀。武士の身分費用の支出の恩恵を武家奉公人(家来・下女)も受けていた。しょっちゅう人前で土下座し、辛い家事労働をしたが、食事、衣服支給で親元に帰れば田畑があり、懐具合は主人より家来のほうが豊かだった(P85~88)

 江戸時代は圧倒的な勝ち組をつくらない地位非一貫性(=権力・威信・経済力が一手に握られない状態)の時代だった。武士は威張っていたが貧乏、商人は大金持ちだが卑しい職業とされた。これが江戸時代の社会を安定させていた(P89~90)

 俸禄支給日の配分:おばば様90匁、父上様(信之)176.42匁、母上様83匁、弥左衛門(直之)19匁、妻(お駒)21匁、姉様(婚出)5匁、おぶん(婚出)5匁、お熊(直之娘)9匁。父親の俸禄も含め、直之主導で配分、家計簿も直之が記入。女性たちもしっかりもらっており、江戸時代の武家女性は自立した財産権を持っていた(P90~91)

 武家の女性は家の相続権はなく、少女時代は男子より一段下の扱いで、嫁に入っても辛抱させられたが、男の子を産み、その子が成長して「母上様」となり、孫ができて「おばば様」となると、家庭内での地位は格段に向上していった。猪山家でも、散々小遣いを使っているのは母となった女たちだ(P91~92)

 武家女性は、生涯にわたり実家との絆が強い。夫と妻の財産は、明確に分かれていた。江戸時代の結婚は長続きしなかったので、いつ離婚してもいいように、夫婦の財産が別になっていたのだろう。①寿命が短いので死別、②離婚が多い(32人の宇和島藩士のうち13人が離婚経験者)。嫁は、子どもを設けてしっかり定着しない限り、いつ実家に帰るとも知れない存在(P92~93)

 城下の武家地に集められた藩士は、土地経営による収益、庶民相手の商売や金貸しができなかった。営利行為を許さない土壌が存在し、武士は土地と資本が生み出す大きな利潤の機会から切り離されていた。明治維新後は、地主として家賃を取ったり、金融部門から(銀行員になって)収入を得たりした(P94~95)

 猪山家では、自分の米のうち食用米以外の34石は、支給時に、藩の米蔵に置いたまま時価で売却し、すべて銀(銀札=藩札)にして持ち帰ったが、銀貨は借金返済、頼母子講に使うのみで、日用品の購入には銭に両替して使っていた(P96~99)

 

【第3章】

(出産儀礼):出産費用の半分以上を妻の実家が負担(P107~110)

①1843.12.19 着帯:妊婦に腹帯をまく。妊娠5カ月目の戌の日

②1844.  4.13 成之出生  

③1844.  4.15 三つ目:誕生3日目の祝宴。西永(お駒の父、母、兄)、清水家より6名

④1844.  4.19 七夜:誕生7日目の祝宴。西永、清水、竹中、増田、太田家14名を供応

            藤井、坪内、金岩、猪山(本家)の各親戚が祝いに来る

⑤1844..  5.15 神明宮(鎮守)に参詣。外祖父西永家に挨拶

 武家の場合、女性が実家に密着しており、婚家に取り込まれることがなかった。武家の嫁は血縁力が期待された。家内の年中行事を取り仕切り、親戚と付き合い、子供を産んで、婚家を安泰にする役割。その嫁がいることで血縁関係が広がり、政治的にも血縁的にも、家が強くなることが期待された(P110~111)

(生育儀礼)(P116~126)

⑤1844.  8.16 箸初はしぞめ:食べ始め、西永夫妻(祖父母)と嫡子を供応

⑥1845.11.18 髪置:数え2歳。髪伸ばし初め。西永・増田(父方伯父)を供応

⑦1847.11.11 着袴:数え4歳。袴を着け刀を差す。(袴は武士のシンボル)

          西永、増田、竹中、吉崎(伯父)を供応。親戚一同から祝儀

⑧1854.10.16 角入すみいれ:数え11歳。前髪に剃込を入れる

⑨1857.  1.16 前髪:数え14歳。前髪を剃って元服

 

【第4章】

(葬儀費用)   葬儀費用 香典収入 自己負担(P129)

父・信之 1849.4 809.50匁  461匁  43%

祖母   1849.5 751.86匁  549.5匁  27%

母    1852.6 647.82匁  135匁  79%

直之   1878.4 39.85円   9.9円  75%

 葬儀費用の額は大きく、年間収入の1/4を費やしている。加賀藩士の世界では、同僚が香典をくれるのは本人死亡の場合のみ。葬儀は親戚の費用で行う。通夜の夜食は、嫁が用意(夜食費用を妻の実家の父親が負担)(P129~131)

 江戸時代の結婚は熟さなければ成立しない(熟縁)未婚でも既婚でもないグレーゾーン(お試し期間)があった(P136~137)

 幕末という時代は、計算能力が高く、事務処理を確実にこなす「藩官僚」を欲していた。成之は事務処理に優れ失敗がなかった。新政府は元革命家の寄り合い所帯であり、実務官僚がいない。成之も存在価値があった(P143~145、152)

 

【第5章】

 官僚軍人になる士族は、官への強い志向を持ち、近代化に有益な学識才能に恵まれ、人脈縁故があり、官途に就くための周旋力・折衝力を持つ必要があった。このような条件で、士族は、新時代の支配エリートとそうでない者に分別された。江戸時代の猪山家は、由緒家柄を重んじる藩組織の中で蔑まれ続けてきた。ソロバン役という賤業についていたからだ。しかし、藩社会が崩壊し、近代社会になると、この賤しい技術が渇望され、重視されるようになった(P176)

 

【第6章】

 フランスでは激しい大革命の末、幾多の貴族を断頭台で処刑したが、貴族の地主経営は完全には消滅していない。なのに日本では、士族が地主階級に転化せず、別の道に進んだ。猪山家も維新後に地主になろうとしたが、様々な条件が、それをあきらめさせている(P179)

◎フランスの貴族と日本の武士階級を比較するのは違うんじゃないかな?貴族と比較すべきは大名であって武士ではないだろう。

 猪山家は次の理由で農地の購入をやめている(P180)

①農地を小作させたときの平常時の利回りは10%だが、凶作時には6.6~3.3%になる

②土地の購入費用が高額で容易に調達できない

③徳政があると農地を取り上げられるリスクがある

④農地価格下落のリスクがある

 日本で旧支配層が地主経営するには、次の2つが必要(P181~182)

①莫大な資金力       ⇒華族

②後発参入が可能な広大な土地⇒開墾地、北海道、植民地

(猪山家の資産運用検討)(P201)

        運用方法  期待利回り 元本リスク 流動性

A案:農地購入 ⇒地代を得る  7.5%  小   低:低利回り

B案:借家購入 ⇒家賃を得る  13%  中~小 低 ⇐ 採用

C案:会社に預金⇒利子を得る  15%  大~中 高:銀行類似業務会社・リスク大

D案:貸金業経営⇒利子を得る  20%  甚大  中:貸倒れリスク大

 

 

「がん」では死なない「がん患者」 東口高志著 2016年5月光文社刊

(目次)

序章 病院で「栄養障害」がつくられる

(1)がんで入院しても、がんで死ぬ人はたった2割!

(2)歩いて入院した人が、退院するとき歩けないのはなぜ?

(3)寿命が尽きる前に死んでしまう人が多すぎる!

第1章 がんと栄養をめぐる誤解

(1)「栄養を入れるとがんが大きくなる」は本当か?

(2)術前術後の栄養が回復のカギ

(3)抗がん剤治療、放射線治療の副作用

(4)着地点を見極めて”逆算のがん治療”を

第2章 症状や病気がちがえば栄養管理も異なる

(1)病院で広がる感染症

(2)褥瘡は大問題

(3)物がうまく飲みこめない

(4)つらい呼吸障害を和らげる

(5)その他の病気と栄養のかかわり

第3章 老いと栄養

(1)慢性栄養障害と急性栄養障害

(2)退院後の栄養をどうするか

(3)アンチエイジングと栄養

第4章 栄養についてもっと知る

(1)食べた物は体内にどう取り込まれるのか

(2)栄養状態の善し悪しはどうやって見分ける?

終章 食べて治す

 

【序章】

 実際には、多くのがん患者は、がんでは亡くならない。脳転移や肺転移は致命的だが、心臓への転移は非常にまれ。骨転移も、造血障害を起こすまでは命の別状がない。がん患者の8割は感染症で亡くなっている。栄養障害によって免疫機能が低下しているのが感染症で亡くなる原因(P12~13)

 栄養障害とは、栄養素のバランスが壊れることによって代謝障害を起こした状態。代謝とは、生命維持活動に必要なエネルギーをつくったり、筋肉などの組織をつくるために体内で起こる生化学反応(P13、P22)

 がんは、栄養を入れようが入れまいが、大きくなるときは大きくなる。がんは、炎症性サイトカインを放出し、身体を溶かすようにして栄養を集めながら大きくなる。ものすごい勢いで身体から栄養が奪われるわけで、栄養を摂らなければ、あっという間に栄養障害に陥る(P16)

 栄養障害で多いのは3大栄養素の欠乏。ほかにビタミン、微量元素の欠乏or過剰もある。中でも重要なのはタンパク質で、不足すると①骨格筋、心筋などの筋肉量が減少、②血液中のタンパク質減少により免疫細胞がつくれず、免疫機能低下、③身体全体のタンパク質の25~30%減少で死に至る(P22~23)

 

【第1章】

 栄養の観点では、がんは代謝異常の病気(P34~36)

①糖代謝:糖にかかわる酵素に異常を生じさせて糖の代謝を亢進させる。がん細胞は、糖を大量に取り込んで消費する

②タンパク質代謝:サイトカインやPIF(proteolysis-inducing factor:タンパク質分解誘導因子)を放出し、筋肉でタンパク質の分解が進む

③脂質代謝:サイトカインやLMF(lipid mobilizing factor:脂質動員因子)を放出し、脂肪細胞から血液中に脂肪が溶けだす。サイトカインにより血中脂質を代謝できなくなる

 

 「栄養を入れるとがんが大きくなる(だから栄養を入れないほうがいい)」という言い方は、がん細胞が栄養を摂り込むことだけに注目し、その栄養が身体から奪われていることを無視している(ので誤り)(P36)

 医療現場で多い栄養障害は、PEM(protein-energy-malnutrition:タンパク・エネルギー障害)。糖の摂取においては、糖が効率的に「好気性解糖」に回るように、好気性解糖を促進する栄養素を同時に摂ることで。がん細胞による「嫌気性解糖」を抑える(P37~38)

(好気性解糖)(P39~43)

 好気性解糖を亢進させる栄養を補給すれば、少なくとも正常細胞では効率よくエネルギーをつくれ、がん細胞に糖をある程度奪われても体が弱ることを避けられる

(必要な栄養)(P43~45)

ビタミンB1ミトコンドリアでピルビン酸がピルビン酸脱水素酵素によって代謝され、アセチルCoAとなって、TCAサイクル(クエン酸回路)に入る。ピルビン酸脱水素酵素が働く際にビタミンB1補酵素として使用

コエンザイムQ10 :電子伝達系で電子の受け渡しをしてATPを生産する際に補酵素として使用  

L-カルニチン:脂肪細胞から溶け出た脂肪酸ミトコンドリアに取り込むのにL-カルニチンコエンザイムQ10が必要

④BCAA、クエン酸:がん細胞がつくり出した乳酸(疲労物質)をピルビン酸に戻す際に、BCAA(バリン、ロイシン、イソロイシン)やクエン酸が有効

 

 栄養状態を評価する際の重要な指標である「血清アルブミン値」が十分な場合(4.6g/dl)の術後30日以内の合併症発症率は10%、死亡率1%未満。半分以下(2.1g/dl)では65%、29%(P48)

 手術後は、手術によって傷ついた細胞を修復するために大量のエネルギーが必要なのに、エネルギー源である糖を細胞内に取んで代謝することができない。したがって、手術前に栄養状態を良くしておくことが大切。手術後は、絶食期間をできる限り短くすることが必要。絶食期間が長くなると、小腸の粘膜が萎縮し、バリア機能を失う。バリア機能を失った粘膜から、細菌等の異物が体内に侵入する(P49~50、59~60)

 GFOは、グルタミン+水溶性ファイバー+オリゴ糖。グルタミンは腸のエネルギー源、水溶性ファイバーは分解されて短鎖脂肪酸になり、大腸のエネルギー源になる。オリゴ糖は水溶性ファイバーの働きを助ける(P54)

 小腸の粘膜には全身のリンパ球の60~70%が存在。バイエル板(小腸粘膜の免疫器官)は、小腸に侵入した異物を捉え、その特徴をリンパ球、白血球に伝え、その抗原から身体を守るべく免疫担当細胞(抗体を生成する細胞)をつくる。抗体は血流に乗って全身に運ばれ、身体全体で働く(P58~59)

 ストレスを感じると炎症性サイトカインが放出され、体の中が炎症を起こした状態になる。炎症によってダメージを受けた細胞を修復しようとしてエネルギー消費量が増え、エネルギー源としてタンパク質も使われていく(P60)

 抗がん剤治療も、かなり侵襲の大きい治療法で、健常組織にもダメージを与える。そのダメージを補うにはタンパク質とエネルギー、抗酸化作用のあるコエンザイムQ10、ビタミンA、C、E、亜鉛などの微量元素をたくさん摂ることが必要(P61~62)

アルブミンの働き)(P62~65)

①様々な物質と結合やすい

 ⇒血液中の亜鉛、カルシウム、酵素、ホルモン、脂肪酸と結合 ⇒身体の各所に運ぶ

 ⇒薬の成分と結合 ⇒薬成分の血中濃度が一気に上がらない ⇒体内各所で効果発揮 

 ⇒アルブミン量過少 ⇒非結合の薬物の血中濃度が急上昇 ⇒激しい作用(副作用)

②血管の中に水分を保持し、浸透圧を維持する 

 アルブミンは水を引きつける=20ml/1g

 アルブミンは分子量大きいので、血管壁を通り抜けれない

 アルブミンがあることで分子の総量 血管内側:大  vs 血管外側:小

 ⇒血管が丸く膨らみ、その中を様々な物質が流れていく

 栄養障害で身体がむくむのは、血中アルブミン減少で、水を血管内に保持できなくなり、水が血管壁から外に浸透するから(P65)

 アルギニンやクエン酸は、筋肉に溜まった乳酸を減らす作用があるので、頭皮の下の筋肉に溜まった乳酸の減少をもたらし、その結果筋肉が柔らかくなって血流が良くなり、頭髪が生えてきたり太ったりすることがある(P66)

(がん治療による副作用と栄養)(P66)

抗がん剤治療  味覚障害  亜鉛、ミネラル、ビタミン、たんぱく質

        頭髪の抜け アルギニン、クエン酸

放射線治療   腸炎    グルタミン、ファイバー、オリゴ糖(GFO)

        肺線維症  オメガ3系脂肪酸コエンザイムQ10、BCAA

        貧血    鉄、亜鉛、銅

        脳の炎症  BCAA、ビタミンA、C、E、亜鉛

 がんの種類が違うとがんの形が違うので、原生のがんか転移したがんかの違いが分かる。腫瘍をつくる固形がんは、大きいものは抗がん剤で完全に消すことはできない。固形がんの塊を消すほどの抗がん剤を使用すると患者の身がもたない(P67)

 がん治療においては、治療の着地点を見極めて、今何ができるかを逆算して、医療をする「逆算のがん治療」をすることが大事(P71~80)

 がん患者は、闘病中、回復期、病状安定期を通して栄養をたっぷり摂ることが必要。がんがエネルギーを大量に消費するし、がんと闘うエネルギーも必要なので、栄養が足りない飢餓状態にあっても、健常者の普通レベルのエネルギーを消費する。栄養を補給しないと、あっという間に飢餓状態が酷くなり、栄養障害が進む最終段階では摂りすぎないことことが大事(P80~86)

 ただし、ほとんどのがん患者は、亡くなる3週間ほど前からエネルギー消費量が減少してくる。最終段階では、細胞が栄養や水分を受け入れられなくなり、余分な栄養、水分はそのまま腹水、胸水、全身のむくみとなる。過剰な負荷がかかり、患者はかえって苦しくなる。これ以降が悪液質、不可逆的状態である。身体が受け付けなくなったとき、生命維持に必要なごく少量(一般の1/3~2/3)の栄養と水分だけを入れることで患者は身体が楽になる(P86~87)

 炎症とは、細胞が何らかの障害を受けたときに、代謝を制御するための液性因子であるサイトカインやホルモンが放出されることによって起こる反応であり、細菌などの異物、傷ついた細胞を排除するための作用。慢性の炎症があると、たんぱく質がサイトカインの原料や細胞修復のために使われて、じわじわと消費される(P89)

 サルコペニアは、加齢、栄養障害、運動量不足、病気により起こる。がんは体内に慢性炎症がある状態なので、じわじわとタンパク質が消費され、栄養不足からサルコペニアになる(P91~92)

 がんがあると飢餓状態になってもエネルギー消費量が減らない。糖、脂肪が使い果たされてしまうと、筋肉を構成するたんぱく質がエネルギー源として使われて、サルコペニアに陥る(P92)

 

【第2章】

 黄色ブドウ球菌MRSA(メチシリン耐性ブドウ球菌)も、健常者であれば保菌していても発症することはまれ。患者の免疫機能を健常者並みに高めることが、感染症対策になる。免疫機能は栄養状態を改善することで高まる(P100~102)

(総リンパ球数)(P102~103)

正常    :1500/1m㎥~

軽度栄養障害:1500~1200/1m㎥

中度栄養障害:1200~800/1m㎥

高度栄養障害:~800/1m㎥

がん終末期 :ほとんどが500/1m㎥以下

(以下、院内感染、褥瘡、嚥下障害、呼吸障害、脳卒中心不全、慢性肝炎、慢性腎臓病、糖尿病、外傷、やけどについて略)

 

【第3章】

 高齢者は、よほど栄養に気を配っていないと、マラスムス(Marasmus:慢性的な栄養障害:長い時間をかけてエネルギーとタンパク質が欠乏した状態:PEMの一種)に陥る。タンパク質欠乏により、血中アルブミン量が低下し、水分を血管の中に保持できなくなり、腹水、浮腫を生じる(P158~159)

 外見は太っている人でも、筋肉が減り筋力や身体的機能が低下した状態(サルコペニック・オベシティ(sarcopenic obesity)になっていることがある。サルコペニアを防ぐために、たんぱく質、ビタミン、ミネラルを摂り、運動をする(P164~165)

 一酸化窒素は、血管を拡張させて、血流量を増やす。一酸化窒素は平常時はあまり作られないが、炎症が起こるとアルギニンを代謝してつくられる。一酸化窒素は、酸化の度合いが強いと、自らが二酸化窒素(有害物質)になる。アンチエイジングには、アルギニン(細胞増殖を促す)とグルタミン(アルギニンの原料)は有効(P175~176)

 

【第4章】

 栄養素が小腸にたどり着いた段階では分子が大きすぎて吸収できないので、微繊毛にある酵素が働いて消化され、粘膜から吸収できるサイズに分解され、絨毛上皮(微繊毛のある粘膜)から吸収される(P182)

 小腸から吸収されたブドウ糖は、門脈(消化管から吸収した栄養素、代謝産物を直接肝臓に運ぶ血管)を経て肝臓に入る。肝臓で栄養素を代謝・貯蔵し、有害物質を無毒化してから血液を肝静脈から心臓に戻す(P185)

 アミノ酸は構造の中に窒素分子を含むが、窒素分子が外れると糖質になるので、糖質が不足するとアミノ酸がエネルギー生産に回される(P188)

 血中のアルブミンは栄養不足で減少するので、血清アルブミン値は栄養状態の指標とされる(P197)

 

【終章】

 腸で代謝されたグルタミンはアラニンとなって門脈から肝臓に入り、肝臓で合成されてブドウ糖になる(糖新生)(P210)

 

 

 

 

 

市場サイクルを極める ハワード・マークス著 2018年10月日本経済新聞出版社刊

(目次)

はじめに

第1章 なぜサイクルを研究するのか?

第2章 サイクルの性質

第3章 サイクルの規則性

第4章 景気サイクル

第5章 景気サイクルへの政府の干渉

第6章 企業利益サイクル

第7章 投資家心理の振り子

第8章 リスクに対する姿勢のサイクル

第9章 信用サイクル

第10章 ディストレスト・デットのサイクル

第11章 不動産サイクル

第12章 すべての要素をひとまとめに~市場サイクル

第13章 市場サイクルにどう対処するか

第14章 サイクル・ポジショニング

第15章 対処できることの限界

第16章 成功のサイクル

第17章 サイクルの未来

第18章 サイクルの本質

 

【はじめに】

 「投資で一番大切な20の教え」の20の要素の1つひとつが、成功を願う投資家にとって絶対欠かせないものだ。サイクルは投資において唯一価値ある要素だとは言えないが、20のうち最重要項目に一番近い要素だ(P7)

 

【第1章】

 サイクルの中での立ち位置が変わると、勝ち目も変わる。サイクルに関する何らかの見識を生かせば、勝ち目が大きくなったときには投資額を増やして、より積極果敢な投資を行い、乏しくなったときには投資額を減らして、より防御性を高めることができる(P18)

 PFをある時点で最良な形に組むには、攻撃性と防御性のバランスをとるべく調整することである(P21~22)

 未来は、起きる可能性があることの範囲、可能性の確率について考察した確率分布として見るべきだ(P24~25)

 

【第2章】

 多くの人は、出来事の連続という観点からサイクルをとらえ、各出来事は決まった順序に従って規則的に起きると考えている。それだけでは不十分だ。1つのサイクルの中の出来事は、それぞれの出来事が、次の出来事を引き起こすと捉えるべきだ(P35)

 右肩上がりの線とその周辺で上下動する線。中央の線は、変動するサイクルの中心点を意味する。基調となる方向性や長期トレンドが見られるものもあり、多くは上向きだ。時間の経過とともに、長期的に経済は成長し、企業利益は拡大し、市場は上昇する傾向にある。サイクルに単独の出発点や終着点はない。妥当な中心点は、物事を極限から標準へと向かわせるが、通常、標準に留まる時間は長くない。中心点から先に進む幅が大きいほど、サイクルはより大きな混乱を引き起こす可能性がある。ブームやバブルの後には、はるかに大きな損害をもたらす崩壊、暴落、パニックが訪れる(P36~43)

 1つの領域におけるサイクルの変動が別の領域のサイクルに影響する。景気サイクルは企業利益サイクルに、利益サイクルに左右される企業の業績発表は、投資家の姿勢を変化させる。姿勢の変化が相場を動かし、相場の変動が信用サイクルに影響し、それが景気、企業、市場へと波及する(P48)

 周期的医な出来事は、内生的な事象と外生的な事象の双方から影響を受ける。外生的事象の多くは、他のサイクルの一環をなしている(P48)

 

【第3章】

 変動の大半は、サイクルが形成される際に人間が果たす役割に起因する。人間の感情や心理がもたらす趨勢が周期的な現象に影響を及ぼす。人間はサイクルを生み出す主因であり、ランダム性とともに、その一貫性、確実性を欠く性質の原因となる(P60)

 

【第4章】

 一国の経済の生産量は、労働時間と1時間当たりの生産量で算出される。よって、その国の長期経済成長率は、主に出生率や生産性伸び率等の基礎的要因で決まる。これらの要因は、10年単位の時間をかけて徐々に変動する。よって、年平均成長率は、長期間安定的な水準となる。しかし、1年ごとの成長率は、変化しやすい他の要因の影響でばらつきを生じる(P67)

 投資家の注意を引きつけるサイクルの大半は、長期トレンドの周りで揺れ動いている。こうした揺れは、短期的には企業や市場にとって極めて重要だが、基調となるトレンドラインのほうが、全体的に見てはるかに大きな意味を持つ(P70)

 出生率同様、生産性の変化は緩やかなペースで徐々に起きるのであり、GDP成長率にその影響が現れるまでには長い時間がかかる。生産性の向上は、主に生産プロセスの進歩による。生産性の向上率は数年間にわたり、比較的安定する傾向がある(P75~76)

①蒸気や水力を用いた機械が労働者に代替(産業革命の時代1760~1830)

②電力と自動車が効率性の低い動力と輸送手段に代替(19C末~20C初頭)

③CPその他の自動制御手段が人間に代替して生産機械を操作(20C後半)

④情報の取得、蓄積、応用、メタデータ、AIによる革新(現状)

(長期トレンドの短期的変化の要因)(P76~85) 

①人口動態の変化

②投入量の決定要因(労働参加率、1人当たり労働時間)

③意欲、教育、技術、自動化、グローバル化

④資産価格の上昇で、より豊かになった気分がすることで、限界消費性向を高める→経済見通しが自己実現的な側面を持つ(資産効果

 

【第5章】

 景気サイクルを管理することは、中央銀行と財務当局の責務の一部となっている。景気サイクルへの対処は反景気循環的で、独自のサイクルを描く形で用いられる。しかし、サイクルを管理するのは容易ではない(P93)

中央銀行の役割)(P97)

①インフレ抑制 :経済成長を抑える方向

②雇用確保の支援:経済成長を促す方向

 

【第6章】

 企業の利益を決定づけるプロセスは複雑で多くの変数に左右される。主に、営業レバレッジと財務レバレッジの違いにより、売上高の変化の利益への影響が他社よりはるかに大きく現れる企業がある(P101)

 

【第7章】

 企業、金融、市場のサイクルにおける上方(と下方)への行き過ぎた動きは、ほとんどの場合、心理の振り子の過剰な揺れによって起こる(P111)

 1970年から2016年の47年間に、S&P500の年間騰落率が平均的な水準から±2%(8%~12%)の範囲に収まった年は3回しかないが、±20%超となった年は13回ある。リターンが極端な水準に達した年は、ランダムに散らばっているのでなく、同じ方向に向かって同じように極端なパフォーマンスを演じた他の年の前後1、2年のところに位置していた(P116~117)

 

【第8章】

 理性ある投資家は、熱心で疑い深く、いつも適度にリスク回避的であるだけでなく、リスクに見合う水準よりも大きなリターンが得られそうな機会はないかとアンテナを張っている。一方、相場がよいとき、多くの投資家は「リスクは味方だ。高いリスクを取れば、それだけ儲けも大きくなる」と言い、相場が悪いときは「もう損したくない。ここから救い出してくれ!」と言う(P137)

 投資家が集合体としてのリスクをどのように見ていて、それをもとにどのように振る舞うかが、我々を取り巻く投資環境が形成される過程で圧倒的な役割を果たす。その投資環境の状態が、その時点でのリスクに関して投資家がどう振る舞うかを決定するうえでカギとなる(P139)

 リスクが高そうな資産は、より高いリターンを生み出しそうに見える必要がある。そうでなければ誰もそれに投資しないだろう。リスク不選考の性向があることから、投資家にリスクを取らせるには追加的な見返りの可能性で引きつける必要がある(P141~143)

 リスクに対する選考が変化すること、それが投資環境を変容させる(P145)

 よい出来事が起き、陶酔感、楽観主義、強欲の傾向が強まると、投資家は通常よりも、そしてあるべき状態よりも、リスク回避的でなくなる。よって、景気と市場が最も堅調な時に、より分別にかける投資が行われる(P149~150)

 高リスク資産の価格が上昇することは、そうした資産について見込まれるリスク・プレミアムに対する意識が、より高い時期に比べて小幅になることを意味する(P150)

 相場のピークでリスク許容度が天井知らずになるように、相場の底ではリスク許容度はゼロになる。こうした悲観的な姿勢の影響で、それ以上損失が出る可能性が極めて低くなる水準、巨額の利益が生じうる水準まで価格は下落する。だが価格が底にあるときに、傷を負った投資家は、リスク回避の姿勢を強め、傍観者になる(P156)

 最大の投資リスクは、投資家を夢中にさせる何らかの新しい投資根拠によって、資産価格が過度に高い水準に達したときに訪れる(P160)

 住宅価格が上昇し、金利が低下していた時に、アメリカの住宅ローン市場では①→⑥の出来事が生じた。住宅ローンの融資基準が低下し、リスクが上昇した(P166~167)

①初期優遇金利が低くなった

②融資比率(融資額/住宅価格)が上昇した

③融資比率100%のローンが登場した

④返済額に占める元本部分の比率が低いローンが導入された

⑤返済額に元本部分が全く含まれないローンが導入された

⑥職や信用履歴に関する書類なしでローンが組めるようになった

 他人が慎重さを欠いているときほど、自分たちは慎重に事を運ばなければならない(ウォーレン・バフェット)(P169~170)

 否定主義が過度に広がった時期には、行き過ぎたリスク回避の姿勢から、限界まで価格が下落する。それ以上損失が生じる可能性が極めて低くなり、損失リスクが極めて小さくなる。最も安全な買い場は、お先真っ暗だと誰もが思い詰めているときに訪れる(P179)

 

【第9章】

 素晴らしい投資成果は、質の高い資産を買うことではなく、契約条件が妥当であり、価格が安くて洗剤リターンが大きく、リスクが限定的な資産を買うことによって達成される。このような条件は、サイクルの厳しい局面に位置しているときに整いやすい。信用市場の扉が閉ざされた局面にあるときに、掘り出し物が手に入りやすくなる(P184)

 企業の資産の多くは長期的な性質のものだが、その原資は、借り入れコストが最小の短期債である。企業は、負債が満期を迎えるときは、完済ではなく、借り換えを行う。その時点で新たな債券を発行できなければ、デフォルトを余儀なくされる。中でも金融機関は、信用市場に過度に依存している(P188~189)

 好況で融資が拡大すると、無分別な融資が行われ、巨額の損失を生み出す。貸し手は融資をやめ、好況に終止符が打たれる。市場とは、最も高い買値をつけた人の手に、売り出されて品物が渡るオークション会場である。参加者が競り合うことで、価格は絶対額で見ても、PER等のバリュエーション尺度で見ても上昇する(P193~194)

 リスク許容の姿勢が支配的になり、貸し手が融資機会を得るために激しく競争すれば、競り合いは加熱し、払う代償は極めて高くなる。信用市場での過熱したオークションは、実際には敗者となる「勝者」を生み出す傾向が強い(P195)

世界金融危機の経過)(P201~) 

①元々、金融リスクに対する寛容すぎる姿勢

FRB金利引下げによって生まれた高利回り投資商品に対する旺盛な需要

③投資家が過度に積極的な姿勢で革新的金融商品を受け入れ

④革新的商品の中で住宅ローン担保商品が中心的存在になり、新たな派生証券をつくり出すうえで原資産となる住宅ローンに対するニーズが急激に高まった

⑤住宅ローンの販売を後押しし、住宅ローンの貸し手のローン組成基準が緩和→サブプライムローン開発

⑥住宅所有者増加=従来の住宅ローン融資基準では家を持てなかったはずの人々の増加

⑦格付機関がかさ上げした格付けを付与

⑧初期優遇金利の設定、変動金利型住宅ローンを開発、普及等により住宅購買力が増加

投資銀行が、サブプライムローンを束ねた上で、複数海藻に分割。仕組債により売りやすさを最大化

⑩仕組債を組成した投資銀行が、元本の返済順位が最低のエクイティ債を保持

 

【第10章】

 信用市場が過熱すると、状況が少し悪化しただけで返済ができなくなるような債券が発行されるようになる。これが無分別な信用の拡大だ(P218)

 ディストレスト・デットは、事業の面で問題はないが、財務状態が悪く、既存債のデフォルトを起こした企業や、その道をたどる可能性のある企業を対象としている。ディストレスト・デットの投資機会に不可欠な要素は次の2つだ(P219~222)

①無分別な信用の拡大

②企業利益の減少をもたらす景気後退または景気と金融市場に打撃を与える外生的事象(戦争)

 

【第11章】

 たいていの場合、人は強欲と希望的観測に流されて、好材料ばかりに目を向けてしまう。こうした傾向は不動産投資で顕著だ(P228)

 実物資産を伴う不動産の市場では、長いリードタイムが顕著だ。計画が始まってから建物が市場に出るまでには、往々にして好況から不況へと景気が移り変わるほど長い時間がかかる。(P229~232)

 好況時にプロジェクトを始めることは、リスクの源となりうる。不況時にとん挫したプロジェクトを買うことは大きな利益をもたらす可能性がある(P234)

 アメリカの2010年の1人当たりの住宅着工件数は、1940年~2010年で最低だった。サブプライムローン危機、住宅バブルの崩壊、2007年~2008年の世界金融危機の後、住宅建設は実質的に再開されておらず、直後の数年間に供給される新築住宅数は、住宅需要の回復に対応するには不十分だと推測できた。そこで、我々は住宅ローン不良債権、住宅建設用土地を担保とした銀行融資の不良債権に巨額を投じ、北米最大の非公開住宅建設会社を買収した(P236~238)

 資産価格が上昇しているときは人々が強気になり、識者の見解がそれをもっともらしく後押しする(P245)

 

【第12章】

 資産価格は、①ファンダメンタルズ(利益、キャッシュフロー、それらの見通し)、②心理(投資家がファンダメンタルズをどう受け止め、評価するか)の変化に左右される。証券価格が利益より大きく変動するのは、心理、感情などによるが、ファンダメンタルズと心理は相互に作用しあう(P250~251)

(強気相場の3段階)(P256)

①並外れて洞察力に富んだ一握りの人が、状況がよくなると考える(革新者)

②多くの投資家が実際に状況が良くなっていることに気づく(模倣者)

③最後に、すべての人が状況が永遠に良くなり続けると思い込む(愚か者)

 

【第13章】

 カギとなるのは、心理の振り子とバリュエーションのサイクルが今どの状態にあるかを知ることだ。過度に楽観的な心理と、高すぎるバリュエーションを積極的に受け入れる姿勢から、価格がピークに近い水準まで高騰しているときに、買わないこと(P276)

 市場がサイクルのどこに位置しているかは、バリュエーション尺度(株式はPER)による(P281)

 ①いろいろある中で何が重要なのかを見極め、②それによってどのような展開が生じるのかを推論し、③その推論から、今の投資環境を特徴づける要因を1、2個導き出して、そこからどう行動すべきかを割り出すことが重要(P286)

 ①資産の価格はどのような状態にあるか、②周りの投資家はどのように振る舞っているか、を絶えず、規律をもって評価することで、サイクルのどこに位置しているかを測る(P288)

 混乱が収まり、投資家の気持ちが落ち着いた頃には、バーゲンは終わっている。価格が本質的価値を下回ったときから、買い続ける。価格が下がる続けている場合は、買い増せばよい(P316~317)

◎上記は「市場は、あなたが支払い能力を保てる期間よりも長く、不合理な状態を続けることができる」(ケインズ)(P322)という引用と矛盾している。やはり「落ちるナイフ」はつかむべきではないだろう。

◎このあたり、ほとんど同じことを繰り返し言っているように思う。

 

【第14章】

 将来の市場動向に適したポートフォリオをうまく組むには、どういう姿勢で動くか(攻撃・防御)、サイクルの位置づけから将来の市場動向を巧みに読み取った上で、いつそれを実行に移すかがカギとなる(P330)

 

【第15章】

 市場サイクルに関する理解に基づいてポジションを変えることで、長期的な投資パフォーマンスを改善しようとするのは理に叶っている。①そのために必要なスキル、②実行することの難しさ、③その限界について理解しておくことは大事だ(P350

 とるべき賢明な策がないときには、賢明であろうとすることが過ちになる。我々は、大きなサイクルの波の中での極限に狙いを絞ることで、当たる確率を最大化してきた。恒常的に、極限以外のタイミングで成功を収めることは、誰にもできない(P356)

 

【第16章】

 類いまれな収益性を生み出すものはみな、追加的な資金流入をもたらし、やがて人気過多になって定番化すると、リスク調整後のリターンの期待値が平均へと近づいていくパフォーマンスがさえない資産は、しばらくすると超割安になり、アウトパフォームする立場に変わる。投資で成功するうえでカギになるのは、こうしたサイクルだ(P360)

 成功は、ほとんどの人にとっては良いことではない。成功は人を変えることができるが、たいていの場合、それは良い方向にではない。相場が力強く上昇する中で大金を稼ぐと、投資を極めたと思い込み、自分の見解と本能に対する自信を深めてしまう。そして自分が間違っている可能性を考えなくなり、損失を出すリスクを気にしなくなり、前の成功をもたらした安全域を確保しようとしなくなる。「強気相場と自分の知能を混同してははならない」(投資の格言)(P363)

 値上がり銘柄を買うトレンドフォロー投資、モメンタム投資は、しばらくはうまくいく。だがやがて、銘柄間のローテーションや出遅れ銘柄を買う動きによって、必勝法の座を奪われる(P368)

◎それはそうだけど、勝率は高いのでは?

 

【第17章】

 経済も市場も過去において一本のまっすぐな線に沿って動いたことはなく、未来においてもそれは変わらないだろう(P380)

 

【第18章】(略)

 

 

ウクライナ危機後の地政学 藤和彦著 2023年8月集英社刊

(目次)

はじめに

第1章 揺らぐ冷戦後の国際体制

第2章 世界はグレート・デプレッションに向かう

第3章 内戦のリスクが高まる米国

第4章 少子化と不動産バブル崩壊で衰退する中国

第5章 群雄割拠の時代を日本は生き残れるのか

おわりに ロシアとどのように向き合っていけばよいのか

 

【はじめに】

 ウクライナ危機では、米国の戦争研究所が発信する情報が、日本をはじめ世界のメディアで広く使われているが、この研究所は、ネオコンのケーガン一族が運営している。提供される情報の信憑性に疑問符が付く。実質的な交戦国である西側諸国のプロパガンダに染まっている状況に危機感を覚えざるを得ない(P2)

 プーチン大統領の戦争遂行に責任があることは否定しないが、米国をはじめとする西側諸国の対東欧政策が今回の戦争を招いたとの主張もある。無秩序な国際社会において、大国は地域の中で一番強い覇権国を志向し、自国の覇権地域に他の大国の勢力が及んでくることを防ごうとする。ロシアは、常に周囲から圧迫されていると感じ、そのことに反発する国だ。ロシアが中核的部分と考えているウクライナが独立し、反ロシアになったらロシアの強い反発を招いて危険だ(P2~3)

 国家、とりわけ大国は、互いに恐怖を感じており、自分たちの生存が脅かされるほどの恐怖を感じたとき、大きなリスクを背負って大胆な行動に出る(P4)

 冷戦は、米国の圧力で東側陣営が崩れたのではなかった。冷戦末期に主導的な役割を果たしていたのは、当時の西ドイツとフランスであり、ロシアとの協議を深めて東西の対立を緩和する(欧州共通の家)という構想だった(P5)

◎正直、うんざりしてしまって、まともに読む気になれなくなってしまった。今後、この方の著書を読むことはないだろう。

 

空白の日本史 本郷和人著 2020年1月扶桑社刊

(目次)

はじめに

第1章 神話の世界 科学的歴史の空白

第2章 「三種の神器」のナゾ 祈りの空白

第3章 民衆はどこにいるか 文字史料の空白

第4章 外交を再考する 国家間交流の空白

第5章 戦いをマジメに科学する 軍事史の空白

第6章 歴史学帰納と演繹 文献資料の空白

第7章 日本史の恋愛事情 女性史の空白

第8章 資料がウソをつく 真相の空白

第9章 先達への本当の敬意 研究史の空白

 

【第1章】

 古代日本は西型国家だった。西の朝鮮半島、中国大陸は、日本に新しい文化や品々をもたらす大事な地域だった。東にある関東は、大和朝廷に実りをもたらさない場所という認識だった(P23~24)

 663年の白村江の戦は、当時日本が持っていた朝鮮半島での利権を守るための戦いだったが、新羅・唐の連合軍に大敗し、利権をすべて失った(P25)

 固関の儀式:新天皇の即位等朝廷で大きな政治的事件が起きると三関を封鎖。反逆する勢力の京都への侵入を防ぐ目的。近畿より西側には関所がないのは、西側から対抗する勢力が来るとは考えていなかった(P28~29)

三関:愛発関(福井:北陸道)、不破関(岐阜:東山道)、鈴鹿関(三重:東海道

 日本の都市に城壁がないのは、日本国が生まれた700年前後、朝廷に対抗する勢力が日本になかったからではないか。関東や東北の国々は、大和朝廷の優れた文化を目にして、戦いを経ることなく、自然に従属し、降伏したのではないか(P32~35)

 明治政府は、日本が万世一系天皇を頂点にした統治国家であることを強烈にアピールした。結果、日本の天皇は、Emperor(皇帝)の称号を得ている。英国王室はKing/Queenと呼ばれる。英国王室以外のヨーロッパ王室の血統は、古くても18~19世紀前後のナポレオン戦争ぐらいから始まったものが大半(P37~38)

 日本は漢字文化圏の優等生(朝鮮、ベトナム)になるより、中国とは形の上だけでも対等な存在、独立国である道を選んだ。日本は、元々大王がいて、その上で天皇を名乗った。中国の皇帝の承認を得る必要はないと判断した(P43)

◎これが正しいかどうかは、朝鮮、ベトナムの状況との比較が必要。

 朝鮮やベトナムは、元号を定める権利がなく、中国の王朝が使う元号を使うしかない。日本では、「大化」以降、元号が連綿と続いており、空白の時期はあったが、701年の「大宝」以後、途絶えたことがない(P43~44)

 皇紀は、神武天皇が最初に即位した年を元年とした暦で、紀元前660年を元年とする。古来、日本の暦は、十干(甲、乙、丙~癸)と十二支(子、丑~亥)を組み合わせた十干十二支で表していた。讖緯説(緯書)では、その58番目の組み合わせ辛酉は革命の年とされ、60年が21回続いた時の辛酉は大革命が起こるとされた。この説に基づき、明治初頭の歴史学者が、聖徳太子がいた頃の辛酉が大革命の年と結論付け、その前の大革命を神武天皇の即位した年とした。結果、紀元前660年1月1日(太陰暦太陽暦で2月11日)を紀元節建国記念日)とした(P44~46)

 神話の世界の話を日本の歴史として「建国記念日」とすることはできないので、「建国記念の日(日本の建国をお祝いする日)」とした(P48)

 皇国史観とは、日本の歴史は万世一系天皇を中心として進展してきたとする歴史認識(平泉史学)。マルクス主義歴史観は、階級的闘争(貴族vs武士、武士vs民衆)として歴史を見る(P49~59)

 

【第2章】

 古来より、日本や天皇を守ってきたはずの仏教の存在が、天皇の代替わりの儀式に一切顔を出さない。中世における日本では、神道より仏教のほうが優勢であり、特に古代・中世においては、神道より仏教のほうが天皇に近い存在だった(お寺の権力、法王等)。「伊勢神宮天皇家には深い関わりがある」という話はフィクションであり、明治時代に作られた。持統天皇伊勢神宮に参拝してから千年間、天皇は誰も参拝していない(P64~66)

 三種の神器八咫鏡八坂瓊曲玉草薙剣)は、太平記によると、①北陸にある1セット(戦乱で消失)、②後醍醐天皇から北朝に渡された1セット、③天皇が吉野(南朝)に持って行った1セットの3セットがあった。②は、後村上天皇の軍勢が1352年、京都に突入した際、北朝から南朝に渡った。1392年、後亀山天皇南朝)が京都に赴き、後小松天皇北朝)に南朝にあった三種の神器を渡し、後小松天皇を正式な天皇と宣言したことで、以降、後小松天皇が正式な天皇と認識された。これ以降、三種の神器は1セットだけとして現代に伝わる。しかし、この時渡された三種の神器が②、③のどちらだったかは不明(P66~77)

 インド仏教のベースは、輪廻転生であり、命は次々に生まれ変わる。(祖先は墓の中にいない)日本の仏教では、祖先は墓の中に眠るとする。日本人は、中国仏教(祖先崇拝を仏教に取り込んだ)を受け入れた(P81)

 

【第3章】(略)

【第4章】

 無念の最期を遂げた天皇に対しては、よい名前を贈って怒りを和らげてもらい、怨霊にならないように祈願されてきた(P131~134)

崇峻天皇(553?~592:暗殺された)、安徳天皇壇ノ浦の戦い)、順徳天皇(1192~1242:承久の乱)、崇徳天皇(1119~1164:保元の乱

 利根川は、江戸時代に河川改修がなされる前は河口が江戸湾に通じていた。北条氏(鎌倉時代)は、伊豆半島から出発し、相模国武蔵国上野国に向かったが、下総国へは進攻しなかった。北条氏(戦国時代)も同じ展開(P135~138)

 

【第5章】

 将軍権力とは、政治と軍事から成り立つものと定義(佐藤進一)政治とは、統治権的な支配権。軍事とは、主従性的な支配権。江戸時代の将軍は、日本全国の国民に対して責任を持っていた。将軍は、日本を統治する権限を天皇からお預かりすると考えられており、総理大臣のようなもの。だから大政奉還では、将軍が政治の権限を天皇へとお返しする宣言が行われた。統治権的支配権とは、日本を政治的に治める権(P147~148)

◎どうなんだろう?将軍権力を「定義」することの意味は、誰を「将軍」と呼ぶかという問いに対する答えにすぎない。すると、そういう答えが出てくるのかもしれないが、それがなんだというのだろう?というのが第1の疑問

◎「将軍は、日本を統治する権限を天皇からお預かりする」というのは、幕末の将軍観であって、各時代に共通する認識ではないだろう。それはもしかして、水戸光圀大日本史あたりから生じたものではないのか?

◎「日本全国の国民に対して責任を持っていた」との表現は、誰に対する責任なのか?日本国民に対する責任なのか?天皇に対する責任なのか?後者の意味なら「統治権」という表現は適切ではないだろう。単なる「借り物の権力」となる。しかし、統治権は、支配者なら誰でも持っているのではないか?

◎この「将軍」の定義なるものは、国を支配する立場に立つ者が等しく負うべき要素なのではないか?そうでないとすれば、それは天皇と将軍の二重権力性の表現なのか?

 

 将軍には、軍事を動かすためには主従的な支配権と、政治を行うときには統治権的な支配権の両方が必要で、政治と軍事を行うのが将軍である(P151)

◎国の支配者は、常に、軍事的な権力と統治権的な支配権の両方を持っている。当該国内において、圧倒的な軍事力を持っていないと政治的な統治権を行使することはできないはずだ。したがって、この将軍の定義は間違っている。この章は、「将軍が支配者だった」と言っているに過ぎない。

 

 関ヶ原の戦いが終わり、1600年に家康は大坂城に入城。そこで各大名の処遇を決定した。家康と諸大名間に主従関係が結び直された。将軍権力の二元論に基づくと、1600年時点で江戸幕府は成立していたと考えるのが自然(P157~158)

◎時代区分としての江戸時代の始まりは、家康の支配権が成立したときということでいいでしょう。しかし、「幕府」とは、天皇から賦与された「征夷大将軍」の称号を持つ権力者が設立した統治機構と「定義」するのであれば、それは1603年ということになるのではないかな?要するに、言葉の定義の問題。

 朝鮮出兵においては、九州エリアの大名に対しては100石あたり5人の兵隊を連れてくるよう命じられた。戦前の陸軍では、40万石で1万人とされたことからすると、倍の徴兵。結果、朝鮮出兵は大失敗に終わり、その国力の低下が豊臣政権の終焉を招いた(P161~162)

 江戸城開城の際、西郷は最後まで慶喜切腹させることにこだわった。当時慶喜江戸城で謹慎していたので反乱の恐れはなかった。西郷は、大きな戦いでどちらが勝者であるかを見せないと、明治政府は十全な形で発足できないと考えていたからだろう。「慶喜に腹を切らせる必要はない」と主張していたのは、長州藩桂小五郎、広沢実臣)のほうだった(P169~171)

◎戦いで勝たないと政権が安定しないというのは、歴史が示すところである。ただ、佐賀の乱西南戦争がそれと同じ理屈だったかは疑問である。それらは敵対勢力の鎮圧というより政権奪取後の政権内での権力闘争だったと位置付けるべきで、それも歴史の中でよくある話だろう。

 

【第6章】

 古記録は、主に貴族や僧侶が行う儀式の詳細が書かれており、人に読ませることを前提にしている(P181)

 吾妻鏡は、北条氏が編纂。彼らの先祖である頼朝や時政、義時、さらに関東の武士たちの正統性を内外に示す目的のもの(P184)

 富士川の戦いで勝利した頼朝はその勢いで上洛を図ったが、千葉常胤(下総国)、三浦義澄(相模国)、上総介広常上総国)が、「頼朝が今なすべきは、平家と黒白をつけることではなく、関東に平和をもたらし、関東の武士たちの期待に応えること」と主張し、上洛を止めた。その後、広常は(頼朝の命を受けた)梶原景時に暗殺された(P188~191)

 

【第7章】

 平安時代前期・中期では母方政治(藤原摂関政治)が主流だったが、後期になると父方政治(院政)に変わった。婚姻形態が婿取り婚(招請婚)から嫁取り婚へと変化したのと同時期にだが、因果は不明。一般的には、結婚形態が先に変わり、政治形態に反映されたとされる。しかし、招請婚で母方が重視されるのに、母方系図が存在しない(P206~208)

 人類史の最も古い時代における家族形態は、「単婚小家族」が一般的。その後「直系家族」、さらに「大家族」に展開した(エマニエル・ドット:仏)

 単婚小家族:子供は全員平等、受け継ぐ財産がない

 直系家族:跡継ぎ以外は自立。家から出ていく

 大家族:子供は成人しパートナーも一緒に大家族で一緒に住む

 招請婚は、単婚小家族から直系家族が定着する間に生まれた想定外のバグにすぎないと考えられる(P217)

 ひとたび戦争が起こると、必然的に男が戦いに行く。しかし平安時代は戦いがない時代なので、戦いに重きが置かれなかった。そこで女性が進出し、活躍した。そういう中で日本文化の中心にあったのは「恋」だった(丸谷才一)とされる。実際、平安時代の貴族文化の中心にあるのは和歌だった。これに対し中国の漢詩は、出世の道具だった(P220~223)

 

【第8章】

 坂本龍馬の暗殺は、京都見廻組とされているが、彼らは新撰組以上に幕府の中枢に近い警察組織であり、竜馬が暗殺されたのは大政奉還の1週間後だった。竜馬は大政奉還の推進者であり、その時点では幕府は大政奉還に賛同して動いている。よって竜馬を暗殺する必要がない。薩摩藩は、江戸城総攻撃を企図していたわけで、大政奉還されると戦争の火種がなくなり、幕府を討つ大義名分がなくなる。竜馬は薩摩藩にとって邪魔な存在だった(P243~244)

 

【第9章】

 17C半ば、水戸光圀が「南朝が正統だ」と言い出し、その解釈は水戸学に受け継がれたとされる。しかし、光圀の意図は、「その時点の天皇北朝天皇で偽物(だから必ずしも従う必要はない)」ということだった(尾藤正英の仮説)(前期水戸学)

 18C後半に始まった後期水戸学(藤田幽谷、藤田東湖(西郷の師匠格)等)は尊王を打ち出し、その思想は勤皇の志士(吉田松陰西郷隆盛等)に大きな影響を与えた。そのため明治政府は、「正統な天皇南朝である」との立場に立った。これは、従来の「北朝こそ正統である」との朝廷の常識、及び明治天皇の立場(北朝の子孫)と矛盾することとなった(P268~271)