ファスト&スロー ダニエル・カーネマン著 2014年6月早川書房刊

(目次)

序論

(第1部 2つのシステム)

第1章 登場するキャラクター ~ システム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)

第2章 注意と努力 ~ 衝動的で直観的なシステム

第3章 ナマケモノのコントローラー ~ 論理的思考能力を備えたシステム

第4章 連想マシン ~ 私たちを誘導するプライム(先行刺激)

第5章 認知容易性 ~ 慣れ親しんだものが好き

第6章 基準、驚き、因果関係 ~ システム1のすばらしさと限界

第7章 結論に飛びつくマシン ~ 自分が見たものがすべて

第8章 判断はこう下される ~ サムの頭の良さを身長に換算したら

第9章 より簡単な質問に答える ~ ターゲット質問とヒューリスティック質問

(第2部)ヒューリスティックとバイアス

第10章 少数の法則 ~ 統計に関する直感を疑え

第11章 アンカー ~ 数字による暗示

第12章 利用可能性ヒューリスティック ~ 手近な例には要注意

第13章 利用可能性、感情、リスク ~ 専門家と一般市民の意見が対立したとき

第14章 トム・Wの専攻 ~ 「代表性」と「基準率」

第15章 リンダ ~ 「もっともらしさ」による錯誤

第16章 原因と統計 ~ 驚くべき事実と驚くべき事例

第17章 平均への回帰 ~ 誉めても叱っても結果は同じ

第18章 直観的予測の修正 ~ バイアスを取り除くには

(第3部)自信過剰

第19章 わかったつもり ~ 後知恵とハロー効果

第20章 妥当性の錯覚 ~自身は当てにならない

第21章 直観対アルゴリズム ~ 専門家の判断は統計より劣る(以下下巻)

(要点)

 システム1とは、自動的に高速で働き、努力は全く不要か、必要であってもわずかである。また、自分のほうからコントロールしている感覚は全くない。

 システム2とは、複雑な計算など、頭を使わなければできない困難な知的活動に、しかるべき注意を割り当てる。代理、選択、集中などの主観的経験と関連付けられることが多い。システム2が動員されるのは、システム1では答えが出せないような問題が合発生したときである。

 瞳孔は、知的努力を鋭敏に示すバロメーターになる。被験者の瞳孔は、暗算するとき数秒以内に拡がり、問題を解く間は拡大したままとなるが、答えを出すか、あきらめるかすると、直ちに収縮する。

 最小努力の法則は、肉体的労力だけでなく、認知能力にも当てはまる。ある目標を達成するのに複数の方法が存在する場合、人間は最終的に最も少ない努力で済む方法を選ぶ。

 活性化された1つの観念は、別の多くの観念を活性化し、それがまた別の観念を活性化させるが、意識に記録されるのは、そのうちごくわずかである。ある単語に接したときは、その関連語が想起されやすくなる。〔プライミング効果)

 プライミングは、概念や言葉に限られない。お金という観念は、個人主義のプライムになる。他人と関わったり、他人に依存したり、他の要求を受け入れたりするのを嫌がる。お金を想起させるものに取り囲まれた今日の文化は、気づかないうちに、あまり自慢できないような具合に、私たちの行動や態度を形作っている可能性がある。

 「親愛なる指導者」の大きな写真を使って、服従というプライムを国民に与えることができる。独裁国家の指導者の写真があちこちに飾られていたら、自ら考えたり行動する気持ちが失せる。国民に死を暗示すると、権威主義思想の訴求力が高まる。

 人はいつでも脳の中で、たくさんの情報処理を同時に行っている。何か目新しいことが起きていないか、何か危険な徴候はないか。これはシステム1が、自動的に行っており、認知容易性を判断基準にしている。

 認知が容易なとき、あなたは機嫌がよく、直感を信用し、慣れ親しんだ心地よい状況だと感じている。一方、認知負担を感じるとき、慎重で、疑り深く、緊張し、エラーを犯しにくい。認知しやすいかどうかの印象に基づいて判断していたら、系統的な錯覚は避けられない。

 誰かに嘘を信じさせる方法は、何度も繰り返すことである。聞き慣れたことは、真実と混同されやすい。反覆されると好きになるという単純接触効果は、あらゆる動物に当てはまる。危険の多い世界で生き延びるには、生命体は新たに出現した刺激には慎重に反応しなければならない。そして、刺激が実際に安全なら、当初の慎重さが薄れることに慣れていく。これは、安全を示す信号となる。

 システム1の主な機能は、あなた自身にとっての世界を表すモデルを自動更新することである。それは、あなたの世界では何が正常化を示す。周囲の状況、様々な事象、行動、その結果を連想によって関連付ける作業を通じてモデルが構築される。関連付けが強化されるにつれ、生活に起こる様々な事象の構造が、連想観念パターンで代表される。現在の解釈、将来の予想はこのパターンによって決まる。

 驚きは、自分の世界をどう理解し、何を予想しているかを端的に表す。能動的に予想していたことが起きなかったとき、あなたは驚く。例えば、その時間が近付くと賑やかな声がして、子どもたちが学校から帰ってくる、みたいな。

 しかし、受動的に予想していることのほうがずっと多い。つまり、待ち構えていない出来事であり、発生確率が低いことであり、それが起きても驚かない。そして、偶発的な出来事が一度でもあると、再発時の驚きは小さくなる。

 私たちは、生まれたときから因果関係の印象を受け入れやすくできている。この印象は、原因と結果のパターンに関する論理に裏付けられていないシステム1によってもたらされる。

 動画の中で大きな△が小さな△をいじめ、〇を怯えさせている。このように被験者は、単なる図形に意志と感情を感じ取る。しかし、いじめ、怯えるなどは、すべて頭の中で考えたことである。私たちは何かしら主体を見つけ、それに人格や意志を持たせる傾向があり、それらしく振舞うのを見たがる傾向がある。

 人間には統計的推論をすべき状況で、因果関係を不適当に当てはめようとする傾向がある。統計的思考では、カテゴリーや集合の特性に基づいて、個別のケースの結論を下すが、システム1は、この種の推論を行う能力を備えていない。

 ある言明の理解は、必ず、信じようとするところから始まる。これはシステム1の自動作動によるのであり、もしその言明が真実なら、何を意味するのかを知ろうとする。一方、信じないという行為はシステム2の働きである。疑いを抱くためには相容れない解釈を同時に思い浮かべることが必要であり、それには知的努力が必要である。不確実性と疑念はシステム2の守備範囲なのである。システム2が忙しいとき、疲れているとき、人間は根拠のない説得的なメッセージ(広告)に影響されやすくなる。

 ハロー効果とは、ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことも含めて、好ましく思う、または全部を嫌いになる傾向である。よって、人物描写の際の順番は重要であり、最初の印象の重みが増し、後のほうの情報はほとんど無視される。

 「みんなの意見は案外正しい」が成立するのは、全員が同じものを見ているので判断基準が共通であることと、1人ひとりの誤差が他の人の誤差とは無関係のときである。よって会議では、議題について討論する前に、自分の意見を簡単にまとめて提出させておくのがよい。自由討論だと、最初に発言する人、強く主張する人の意見に重みがかかりすぎるからである。

 システム1は、進化の過程で、生命体が生き延びるために解決しなければならない重要な問題を常時評価するようになった。このメカニズムをオフにすることはできない。私たちは見知らぬ人の顔を一目見ただけで、2つの重大な事実を評価する能力を持つ。その人物がどの程度支配力を持っているか(潜在的に危険か)については、頑丈な顎。信頼できるか(友好的か)については、笑顔かしかめっ面かである。これは不完全だが、いくらかは役に立つのである。

 難しい問題に対して、すぐには満足な答えが出せないとき、システム1は、元の質問に関連する簡単な質問を見つけて、それに答える。置き換えである。元の質問はターゲット質問、代わりに答える質問はヒューリスティック質問である。

 少数の法則は、「疑うよりも信じたい」というバイアスの表れであり、背景には、標本サイズが小さくても抽出元の母集団とよく似ているのだから構わない、という強力なバイアスが存在する。このバイアスは、私たちが自分が見たものの一貫性や整合性を誇張して考えやすいことに由来する。

 私たちは、原因追究思考が大好きなので、実際にはでたらめに起きたことのランダム性を評価するときに重大なミスを犯しやすい。小さい標本に対する過剰な信頼は、より一般的な錯覚の一例に過ぎない。その錯覚とは、私たちは、メッセージの内容に目を奪われ、その信頼性を示す情報にはあまり注意しないことである。その結果、自分を取り巻く世界を、データが裏付ける以上に、単純で一貫性のあるものとして捉えてしまう。

 アンカリング効果とは、ある未知の数値を見積もる前に、何らかの数値を示されると、その特定の数値の近くに止まることである。アンカーとなる数値を基点として、妥当と思う数値に近づけるが、多くの人はこれ以上動かすことに確信が持てなくなる時点で動かすのを止めるので、調整が不十分となる。

 商談の際、相手が途方もない値段を吹っかけてきたと感じたら、同じように途方もない安値で応じると、値段の差が大きすぎて交渉で歩み寄るのが困難になる。むしろ、大げさに文句を言い、憤然と席を立つか、その素振りをするほうが勝る。

 成功=才能+幸運であり、大成功=少しだけ多くの才能+たくさんの幸運である。グーグルのストーリーに才能とスキルがあふれているのは間違いない。しかし、実際には、語られている以上に運が重要な役割を果たしている。