40年後の偶然と必然

佐藤直樹著 2012年8月東京大学出版会

(目次)

第1章 モノーの人物像と業績

第2章 「偶然と必然」のキーワード

第3章 モノーが書いた「偶然と必然」の実像

第4章 「偶然と必然」に対する批評の検討

第5章 再話された「偶然と必然」

第6章 「偶然と必然」の意味を考える

第7章 「偶然と必然」における主要な概念と論理

第8章 現代の科学的知識から見たモノーの科学と哲学

 

 「偶然と必然」の問題提起は分かりにくく、「偶然」、「必然」の意味合いも多義的であるため誤解を招いているが、がモノーの著書「科学とその価値観(1970)」には、同じ問題提起が次のとおり平易な言葉で書かれている。

 従来、人間に、人間存在(実存)の意味を説明してきたのは神話や宗教であり、そこでは物事の起源をうまく説明していたので、社会の安定を保証するものとして機能していた。

 しかし、現代生物学は、生物の安定性と進化を説明する究極の源泉としてDNAを発見し、進化が生物に内在する性質でないこと、DNA構造の偶然的な攪乱こそが、生物世界における新奇性の源泉であることを明らかにした。

 進化は予見できず、制御もできない。進化の原因は偶然的な性格のものである。生命の誕生も人間の誕生も偶然のなせる戯れに過ぎない。(以上、「科学とその価値観」)

 宇宙における人間存在の孤立性、無根拠性こそが、モノーのいう偶然の最重要な中味であり、それに科学が答えることができないことに苛立ちをつのらせているのが、モノーの立場である。

 これに対する著者の答えは、次のとおり。

 「現実の人間という生物は、2通りの形で世界に組み込まれている。

①人間の生存は、究極的に太陽の光エネルギーが宇宙に熱エネルギーとして散逸する過

 程の一部をなしている。

②それぞれの人の遺伝子は、必ず世界の誰かと共有しており、世界中の人類は遠い親戚

 にあたる。人類のゲノムは、他の生物のゲノムと系統関係によって結ばれている。

 このようにして、人間は、この生命世界において、しっかりとした位置づけをもっている。

 このような形をした人間が生じたのは偶然とも言えるが、他の生物の進化によって生まれてきたという意味では進化の必然とも言える。」

 

 問題を、宇宙における人間存在の孤立性として立てれば、著者の言う「位置づけ」でも答えになっているのかもしれないが、「人間存在の意味」に対する答えになっているとも思えないのだが、どうだろうか?